歴代天皇【第11代】垂仁天皇(すいにん)愛した妻に二度も先立たれた悲しき天皇!伊勢神宮、石上神宮はこの時代から!

      2018/03/16

歴代天皇
【第11代】垂仁天皇

出典:https://ja.wikipedia.org/

 

 

垂仁天皇

諡号:活目入彦五十狭茅天皇(いくめいりびこいさちのすめらみこと)

生没:前69年~70年

在位:前29年~70年

 

父:崇神天皇

母:御間城姫(みまきひめ)

(第3子)

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垂仁天皇は、今日にも繋がる事柄の様々なエピソード持った天皇。

 

垂仁天皇の皇后・狭穂姫命(さほひめみこと)は、兄の狭穂彦(さほひこ)と相思相愛の仲であった。

狭穂彦は垂仁天皇暗殺を企み、兄の協力することにした狭穂姫命は寝ている夫を殺そうとした。

しかし、短刀を振り下ろそうとしたときに、狭穂姫命は夫の不憫さを思って涙をこぼしてしまう。

起きた垂仁天皇が涙の訳を問い詰めると、狭穂姫命は事の顛末を述べて兄の元に立ち去ってしまった。

反逆者討伐に乗り出す垂仁天皇は、殺されかけたにも関わらず狭穂姫命のことは深く愛したままだった。

この時、狭穂姫命のお腹の中には垂仁天皇の子がおり、火をかけられた兄の館で狭穂姫命は誉津別命(ほむつわけのみこと)を出産する。

垂仁天皇は様々な手を使って狭穂姫命と息子・誉津別命を奪還しようとしたが、狭穂姫命の決意は固かった。

結局、狭穂姫命は誉津別命だけを垂仁天皇に引き渡して、自らは兄と共に死を選んだ。

この皇子・誉津別命は出雲大神の祟りで、成人しても言葉を発することができず、出雲に旅に出て神に詣でてようやく話すことができるようになったという。

 

その後、垂仁天皇は皇后に日葉酢媛命(ひばすひめのみこと)を迎え、のちの景行天皇や倭姫命(やまとひめのみこと)をもうけた。

しかし、垂仁天皇は日葉酢媛命にも先立たれてしまう。

妻の死に際し、垂仁天皇は野見宿禰(のみのすくね)の進言に従って、風習であった殉死者を埋葬する代わりに埴輪を埋納することにした。(埴輪の起源)

ちなみにこの野見宿禰は、相撲をとって相手を殺したことが相撲の起源になったいう。

また、皇女の倭姫命は皇祖神・天照大神を祀るべき場所を求めて旅立ち、各地を巡ったのちに伊勢の地に祀ることを決めた。(伊勢神宮の起源)

さらに物部氏が守る石上神宮(いそのかみじんぐう)も、朝廷の武器庫としてこの時代に成立している。

 

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