日本の神様 日本神話
【2代天皇 綏靖天皇】
日本神話では、様々な神々が登場してきましたが、神武東征によって大和に政権が誕生し、歴代天皇とその周りの人物が物語の主役となっていきます。
初代神武天皇は、九州日向の地から東征を開始し、大和に政権を確立することになりましたが、その後継者間で皇位をめぐる権力闘争が勃発します。
今回は、神武天皇の子と後継者争い、2代綏靖天皇について説明します。
神武天皇の子
神武天皇には、東征開始前の日向にいたころ、薩摩の阿多隼人という豪族の家系の阿比良比売(別称:吾平津媛 アヒラヒメ)を妻にしていました。
このアヒラヒメとの間に、多芸志美美命(タギシミミ)と岐須美美命(キスミミ)の二人の子供が生まれています。
日向の地を離れ、神武天皇は大和で政治を行うために正式な后を探し、これに応えた大久米命(オオクメ)が一人の乙女を推します。
比売多多良伊須気余理比売(別称:媛蹈鞴五十鈴媛命 ヒメタタライスケヨリヒメ 以下、イスケヨリヒメ)です。
昔、三輪の大物主神(オオモノヌシ)が勢夜陀多良比売(セヤダタラヒメ)という娘を見初めて赤い矢に変身して近づきました。
セヤダタラヒメがこの矢を拾って床のそばに置くと若者に変わり、二人は結婚しました。この二人の子がイスケヨリヒメです。
神武天皇はこのイスケヨリヒメを皇后とし、日子八井命(別称:彦八井耳命 ヒコヤイ)、神八井耳命(カムヤイミミ)、神沼河耳命(カムヌナカワミミ)の三人の皇子をもうけました。
オオモノヌシは大国主命(オオクニヌシ)の幸御魂、奇御魂であることから、この結婚は天津神系統と、国津神系統がここで一つになることを示しています。
天津神と国津神について↓
大物主神(大物主命)について↓
神武天皇の死と権力闘争
神武天皇が137歳で死去すると、子供たちの間で権力闘争が勃発します。
日向で生まれた最年長タギシミミは、父の皇后であった義母のイスケヨリヒメを妻にして権力を掌握しようとする。
イヤイヤの結婚かな
さらに、イスケヨリヒメの3人の子、腹違いの兄弟を殺害しようと企みます。
この企みに気づいたイスケヨリヒメは、自分の子供たちに歌で危険を知らせました。
驚いた子供たちは、タギシミミを排除すべく立ち上がります。
まず、次兄カムヤイミミが武器を手にして殺害を試みるも、本人を前にすると手足が震えてできませんでした。
かわって末弟カムヌナカワミミが武器をとり、タギシミミの命を絶ちます。
長男は無関心?
何もできなかった次兄カムヤイミミは、弟の勇気に敬服し神武天皇の後継にカムヌナカワミミを立てることにしました。
こうしてカムヌナカワミミは2代目の天皇、綏靖天皇が誕生しました。
そして、綏靖天皇は皇后に叔母にあたる母の妹、五十鈴依媛(イスズヨリヒメ)を選び、磯城津彦玉手看天皇(シキツヒコタマテミノスメラミコト)が生まれます。
この子が第3代安寧天皇になります。
おわりに
ちょいちょい神様の話も挟んできますが、ここらへんまでくると日本神話、日本の神々の話ではなくて、完全に人間の権力争いの話になっています。
権力を欲しなんでもする者、本番で震える者。
こんな古い時代でも人間の本質は現代と変わらないというのがよく分かりますし、そこが記紀の面白いところだと思います。