参預会議(参与会議)大河ドラマ西郷どん(せごどん)で島津久光が一橋慶喜に「芋」とバカにされブチ壊された有力者の会議 | おもしろきこともなき世をおもぶろぐ

参預会議(参与会議)大河ドラマ西郷どん(せごどん)で島津久光が一橋慶喜に「芋」とバカにされブチ壊された有力者の会議

   

大河ドラマ西郷どん(せごどん)
参預会議(参与会議)

大河ドラマ西郷どん(せごどん)の第26話、亡き島津斉彬の遺志を引き継いだ薩摩藩の「国父」島津久光は、ついに念願かなって朝廷、幕府、雄藩が力を合わせて新しい政治を議論する会議が開かれます。

その会議の名前が「参預会議(参与会議)」なのですが、ここで一橋慶喜は意見をコロコロと変えて周りを困らせ、久光に対しては「芋」と何度もバカにして会議をブチ壊しました。

せっかく新しい世を作るために集まった有力者たちでしたが、慶喜と久光の対立によってすぐに解散に追い込まれ、その後の薩摩藩の方針は西郷吉之助らによって「倒幕」に向かっていくことになります。

今回は、のちに江戸幕府最後の将軍となる一橋慶喜のしたたかさが分かる「参預会議(参与会議)」について紹介します。

 

バーカ!

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参預会議のメンバー

一橋慶喜(将軍後見職)

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島津久光(薩摩藩・国父)

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参預会議(参与会議)とは

参預会議開催の背景

ペリー来航後の条約調印で、幕府は反対勢力を抑えようと天皇からの勅許を得ようとしました。

これは、結果的に天皇や朝廷の権威は上昇させ、逆に大老・井伊直弼が暗殺されると幕府の権威は急激に低下し、これまで弾圧されてきた「尊王攘夷」運動が高まりを見せていきます。

このため、幕閣を中心とする者たちの中で、朝廷と結びつくことで幕府権威の低下を防ぐ「公武合体」論が生まれ、14代将軍・徳川家茂の正室に孝明天皇の妹・和宮親子内親王を降嫁させるなど「公武合体」を推し進めていきました。

また、幕府の権威低下にともない、必然的に有力諸藩の力が上昇し、諸藩にも国政に関与させる「公議政体」論が「公武合体」の発展型としてささやかれ始めました。

 

そんな折、薩摩の国父・島津久光は「公武合体」を進めるべく、文久2年(1862)に兵を率いて幕政改革を迫ります。

これにより、安政の大獄で謹慎させられていた一橋慶喜は将軍後見職、松平慶永は政事総裁職として政界に復帰。

しかし、外様かつ隠居という立場の者に脅迫されて改革をしなければならなくなった幕府の権威は著しく低下。

さらに、久光が江戸からの帰路、英国人を殺傷する生麦事件を起こし、久光の「公武合体」の意志と逆に「尊王攘夷」を掲げた志士たちが勢いづいていくことになりました。

 

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尊王攘夷→公武合体→公議政体

この頃、攘夷主義者であった孝明天皇は、幕府との協調を目指していました。

しかし天皇の思いとは裏腹に、朝廷では長州藩と三条実美、姉小路公知ら過激な「尊王攘夷」派公卿が主導権を握っていきます。

これに対し「公武合体」派の皇族・中川宮朝彦親王は天皇の意向を踏まえ、会津藩と薩摩藩の協力のもと、長州藩と「尊王攘夷」派公卿らを京都を追い出しました。

朝廷から「尊王攘夷」派が一掃されたものの、「公武合体」派の中川宮らには政局を主導する能力がありませんでした。

そこで朝廷は、薩摩藩主の父・島津久光、越前藩前藩主・松平慶永、宇和島藩前藩主・伊達宗城、土佐藩前藩主・山内豊信、将軍後見職・徳川慶喜らに上洛を命じ、政局の安定を図るため今後の方策を探ろうとします。

孝明天皇は幕府へ大政を委任したままの「公武合体」の方針を示していましたが、島津久光は将軍も含めた有力諸侯の合議による「公議政体」こそが真の「公武合体」であると説き、諸侯らに協力を求めます。

諸侯はこれに賛同し、「公議政体」は朝廷に認められ、島津久光らは『朝廷参預』に任命されました。

参預の職務は、天皇の前で朝議に参加するというものでしたが、将軍・徳川家茂が再上洛した際に孝明天皇は、家茂に対して参預諸侯の政治参加と「公武合体」方針の明確化などを求めたため、参預となった諸侯は正式に幕政に参加することが可能となりました。

 

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参預会議の議題

国政の合議機関『参預会議』の議題は、①長州藩の処分決定と②攘夷問題でした。

①長州藩の処分

京都を追放された長州藩でしたが、その後も政治工作は続けていて、京都では長州藩への同情論も多くありました。

しかし、孝明天皇の長州藩への怒りは収まらず、関門海峡で薩摩藩の蒸気船が長州藩によって沈没させられると島津久光も激怒。

久光は長州征伐の即時実行、または藩主の大坂召還などの処分を主張しましたが、山内豊信は江戸へ呼び出す方が良いと主張して意見が対立します。

結局『参預会議』では、長州藩の家老を大坂へ召還と、七卿(三条実美ら京を追われた公卿)の引き渡しを命じることに決定し、従わない場合に長州征伐を実行することとなりました。

②攘夷問題

孝明天皇が熱心な攘夷論者であったため、『参預会議』では、これまで幕府が結んだ条約の破棄や、鎖港(港の閉鎖)が議論されました。

しかし、参預たちはもともと開国的な考えを持っており、諸外国との条約破棄は非現実的であり、攘夷は不可能であると確信していました。

このため攘夷としての議案は、兵庫港の開港阻止と横浜港の鎖港となります。

孝明天皇から攘夷実行を約束させられていた幕府は、不可能を承知の上で横浜鎖港を打ち出し、『参預会議』においても徳川慶喜が薩摩藩の台頭を警戒して、わざと島津久光と反対の立場を取り、横浜鎖港の実行を主張して激しく衝突しました。

 

ムカーっ!

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参預会議の崩壊

徳川慶喜と島津久光の対立の激化によって『参預会議』は全く進まなくなりました。

中川宮は皆を慰労しようと酒席を設けますが、泥酔した徳川慶喜は島津久光らを指さして「こいつらは天下の大愚物・大奸物であり、後見職たる自分と一緒にしないでほしい」と暴言を吐きます。

これに激怒した久光は『参預会議』を見限り、幕府支持の立場から朝廷支持へと傾いていきました。

一方、慶喜は幕府老中らとも対立し、老中・水野忠精からは「『参預会議』は天下の害物」とまで言われるようになります。

結局、慶喜が参預を辞職すると、他の参預も次々と辞職して『参預会議』は崩壊。

その後、徳川慶喜は将軍後見職も辞して、朝廷から禁裏御守衛総督に任ぜられ、幕府から距離を置いて独自の行動をとるようになります。

一方、島津久光は『参預会議』の崩壊によって、薩摩藩主導による幕府改革は難しくなり、以後は幕府より朝廷に重きを置いて倒幕へ向かっていくことになりました。

 

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