日本の神様 日本神話
【天津神と国津神】
古代日本人は、天の上のはるかかなたに高天原(タカマガハラ)という神々の住む世界を作り、人間が住む世界を葦原中国(アシハラノナカツクニ)、そして地下世界を根之堅州国(ネノカタスクニ)、黄泉国(ヨミノクニ)などとしていました。
自分たちが住む世界を中つ国として中心において、天上世界や地下世界を考えていたのです。
大昔から、日本人のまわりには多くの神社があって、自然の中には「八百万の神々」が存在してきましたが、これらの日本の神様は、「古事記」、「日本書紀」に記されており、大きく2つの系統があることをご存じでしょうか。
これが「天津神(アマツカミ)」と「国津神(クニツカミ)」です。延喜式(平安時代に完成)によると、古代神事の祝詞の中に、天津神と国津神という言葉が出てきます。
天津神は雲よりも天の上にいて、国津神は地上世界の山中などに鎮まるとあります。
このように神様は、古代日本において世界に分けて、それぞれの神様の存在を作りました。
では、この2系統の神様の違いとはなんなのでしょうか。
天津神と国津神の違い
簡単にいうと、日本の国土を産んだ「伊邪那岐命・伊邪那美命(イザナギ・イザナミ)」の2柱の神が産み出した神様の系統を天津神と呼びます。
決して高天原に住む神様だけを天津神と呼ぶものではありません。
これに対し、国津神は「須佐之男命(スサノオ)」の系統に繋がる神様のことを指しています。
スサノオは、イザナギの子であり、天照大御神(アマテラス)の弟神の関係であって、本来は天津神であるものの、親神への反抗、アマテラスへの反逆罪によって高天原を追放されてしまいます。
その後、地上世界である出雲に降り立って、ヤマタノオロチ退治などの活躍により英雄的立場となります。
この地上に降りたスサノオから産まれていった神々が国津神の系統となり、のちに大国主神(オオクニヌシ)まで繋がります。
出雲大社の祀られるオオクニヌシは、英雄的なエピソードを記紀神話では多く語られています。
天孫降臨による国津神の屈服
地上世界があまりに栄えた時、アマテラス以下高天原の神々は地上世界は天津神が統治すべきと言い出し、オオクニヌシら国津神に「国譲り」を持ち掛け、なんだかんだで国譲りとなります。
この結果、アマテラスの孫である瓊瓊杵尊(ニニギ)が地上世界に降り立ち(天孫降臨)、この際に各豪族達がそれぞれ祀っていた神々は、まとめて国津神の系統にひっくるめられてしまいました。
このニニギの子孫が神武天皇として大和王朝を築いていくことになります。
おわりに
古事記、日本書紀の記紀神話による古代日本の統一は、様々な学説があります。
私は、のちに大和王権を築いた人々(大和系)が記紀神話を作っていく過程において、自らが信仰していた神々を天津神と位置付け、制服した出雲の国ほか全国の人々(出雲系)がそれぞれ信仰していた神々を国津神と位置付けたと理解しています。
大和系が全国を征服する際、別系の人々が信仰する神々を全て否定してしまえば禍根を残すことになりますし、征服された人々の中にも優秀な人材はいて、今後の国家運営に協力してもらわないといけません。
天津神より格下と見られる国津神はもともと天津神であったスサノオの系統とすることで彼らの懐柔を図ったのではないでしょうか。
となると、記紀神話に基づく現代日本人が信仰する神々の記録は、歴史的勝者が自分たちの正当性、優位性を主張しながらも、敗者への気遣いも忘れなかった古代日本人の心遣いの記録とも言えるのではないでしょうか。