大河ドラマ西郷どん(せごどん)48話?
最終回その後③【明治政府】
大河ドラマ西郷どん(せごどん)は第47話(最終回)では主人公・西郷隆盛が西南戦争でこの世を去り、その後政府の中心にいた大久保利通も暗殺されてしまいました。
では、こののち明治政府はどのような体制となり、近代日本を作っていったのでしょうか?
そんな疑問を解決するため、今回は「最終回その後」として明治政府のその後について超簡単にまとめてみました。
主要人物のその後については下記からよろしくお願いします!
西郷どん48話?【その後】
その後の明治政府
西郷隆盛らが辞職した明治六年の政変以後、伊藤博文は同じ長州閥の木戸孝允とは疎遠になっていた。
その代わりに伊藤博文は、政権の重鎮となった大久保利通・岩倉具視に接近し、盟友の井上馨と共に政府の中枢へと食い込んでいった。
明治10年(1877)に木戸孝允が病死、同年に西南戦争で西郷隆盛が戦死、翌年(1878)には大久保利通が暗殺される。
不平士族たちの反乱は終結したものの、『維新の三傑』を失った政府には富国強兵、条約改正などの大久保が残した宿題が山積みだった。
そんな中、伊藤博文は大久保のあとを受けて内務卿に就任し、政府の主導権を握っていくことになる。
伊藤博文
明治14年(1881)、伊藤博文は日本の立憲体制について井上馨や大隈重信と会談。
大隈重信の独走を危惧した伊藤博文は、政界追放を決め工作に取りかかり大隈を下野させる(明治十四年の政変)。
さらに伊藤博文は西郷従道、黒田清隆ら薩摩派とも提携し、自分を中心とする体制を確立していった。
大隈重信
この後、伊藤博文は明治天皇に渡欧を命じられ、帰国後に近代的な内閣制度の創設、大日本帝国憲法の起草に取組む。
岩倉具視死去後、明治18年(1885)には内閣制度が発足し、初代内閣総理大臣・伊藤博文が誕生。
この時、名目上の政府のトップ・三条実美も総理に推されていたが、井上馨が「これからの総理は英語ができなくではだめだ」と発言し、山縣有朋が伊藤を推して三条支持派を黙らせた。
こうして政府内の公卿出身者の実権剥奪は完了。
その後、伊藤博文が主導する政府は大日本帝国憲法の発布、国会の設立など内政を固め、日清戦争、日露戦争を経て、岩倉、大久保たちが成し遂げられなかった欧米列強との条約改正を成功させていった。
西郷どん(せごどん)あらすじ
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