大河ドラマ西郷どん(せごどん)
吉川監物(経幹)
大河ドラマ西郷どん(せごどん)の第28話では、禁門の変を引き起こした長州藩に対し、幕府軍による長州征伐が行われます。
日本国内での内乱を避けようとした島津斉彬の遺志を引き継ぐ西郷吉之助は、長州征伐を主導した一橋慶喜に見切りをつけ、長州藩を幕府に恭順させて戦を終わらせることを考えます。
吉之助は長州藩の入り口の岩国領に単身乗り込み、領主の吉川監物に「禁門の変を引き起こした長州藩の三家老の切腹」と「長州藩主の毛利敬親、定広親子の謹慎」を受け入れさせることで幕府への恭順の意を示すように迫りました。
さらに、吉之助は薩摩藩邸で手当てしていた長州兵を吉川監物に返すという驚きの策で吉川監物の心を掴み、長州藩の恭順を成功させます。
この記事では、敵の西郷吉之助に心動かされ、長州藩存亡の危機を救うことになった岩国領主「吉川監物(経幹)」について簡単に紹介します。
【第一次長州征伐において処分を受けた者一覧】
出典:http://kankou.iwakuni-city.net/
吉川監物(経幹・つねまさ)
吉川監物は、周防国岩国領の第11代領主・吉川経章の長男として生まれました。
天保15年(1844)に家督を継ぎ第12代領主となった吉川監物は、藩校・養老館を創設するなどして戦国時代・吉川広家より続いていた毛利本家との疎遠な関係の修繕に努めました。
八月十八日の政変では、京都を追われた7人の公卿の護衛して長州に帰還を果たし、その後も幕末の動乱の中で、吉川監物は毛利本家を懸命に助けました。
元治元年(1864)の第一次長州征伐では、吉川監物が征長軍参謀の西郷吉之助と会談し、毛利本家に恭順を説き、幕府との間で仲介役として奔走。
出典:http://www.pref.yamaguchi.lg.jp/
その後、慶応2年(1866)の第二次長州征伐が起こると、吉川監物は芸州口の戦いで功績を挙げ、幕府軍の撃退に貢献しました。
しかし、吉川監物は維新の夜明けを見ることなく、翌年に39歳で死去してしまいます。
吉川監物の死を深く悼んだ長州藩主・毛利敬親はその死を隠し、新政府に生存しているものとして吉川監物を城主格の諸侯と認めさせました。
こうして吉川家の悲願だった岩国藩主就任を、亡き吉川監物が成し遂げたのです。
その後、吉川家は明治元年(1869)に藩主・吉川監物が「長男・経健に家督を譲り隠居」したことにし、その3か月後になってやっとその死が発表されました。