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小御所会議|西郷どん(せごどん)慶喜の辞官納地を決めた新政府の会議!岩倉具視が弱気になって失敗へ・・・

投稿日:2018年9月3日 更新日:

大河ドラマ西郷どん(せごどん)
小御所会議

大河ドラマ西郷どん(せごどん)で、「大政奉還」を行った徳川慶喜。

これによって討幕派の動きは一時的に抑えられてしまいますが、西郷吉之助ら薩摩藩は状況を打開するため次なる一手を打っていきます。

まずは朝廷内にはびこる親幕府派の公家を追放するクーデター「王政復古の大号令」を起こし、新政府の樹立を宣言。

そして慶喜の権力を削るため内大臣辞職、徳川家の領地返上を求める「辞官納地」を強引に進めていきました。

この「辞官納地」は樹立したばかりの新政府が開いた「小御所会議」において決定されますが、この記事では新政府の中でも揉めに揉めた「小御所会議」の内容について簡単に紹介します。

 

 

辞官納地だ?知らねえよ!そんなもん!

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小御所会議

慶応3年10月14日(1867年11月9日)、徳川慶喜は「大政奉還」により政権を朝廷に返上した。

しかし、慶喜の中では、政権を返しても政治能力が乏しい朝廷は何もできず、必ず自分に泣きついてくるという自信を持っていた。

この慶喜の目論みは当たり、親幕府派の首脳が残っていた朝廷内では、引き続き幕府に権限を与える意見が出始めた。

 

 

やっぱり俺が必要だろ?

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この状況に危機感を抱いた討幕派の岩倉具視や薩摩藩・大久保利通は、事態打開のために朝廷クーデターを計画。

そして薩摩藩・芸州藩など5藩の軍が御所を固め、親幕府派の立ち入りを禁止して「王政復古の大号令」を発した。

これにより新政権の樹立と天皇親政が宣言され、摂政・関白・将軍職の廃止とともに、三職(総裁・議定・参与)の設置が発表された。

 

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「王政復古の大号令」の同日、明治天皇のもと三職が集まり小御所会議が行なわれた。

主な出席者は、明治天皇、総裁の有栖川宮熾仁親王、議定の中山忠能、正親町三条実愛(公家)、徳川慶勝(元尾張藩主)、松平慶永(前越前藩主)、山内容堂(前土佐藩主)、島津茂久(薩摩藩主)、参与の岩倉具視(公家)、中根雪江(越前藩士)、後藤象二郎(土佐藩士)、西郷隆盛、大久保利通(薩摩藩士)など。

薩摩藩としては「王政復古の大号令」時に、慶喜の内大臣辞職と徳川家の領地返還(辞官納地)を決めたかったが、山内容堂や松平春嶽らの反対で小御所会議まで結論は持ち越しとなっていた。

会議では、公家側から徳川慶喜の辞官納地の議案を出すと、山内容堂が「慶喜の出席がない中での会議は卑怯だ」と猛反発。

しかし、山内容堂は猛然と意見を述べる中で「幼い天皇」と失言してしまい、そこを岩倉具視に責められて沈黙させられた。

 

 

山内容堂といえば

「龍馬伝」の近藤正臣

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松平春嶽は山内容堂を助けようと「慶喜の出席させること」に同調したが、岩倉具視や大久保利通は徳川の罪状をズラズラと並べて断固拒否の姿勢を見せた。

大久保利通の強硬な態度に対し、主君の山内容堂を支持した後藤象二郎は「この会議は陰険である」と言い放ち、二人は激論を交わした。

その後、山内案は徳川慶勝・松平春嶽が支援したのに対し、岩倉・大久保案は島津茂久が賛同するだけとなった。

激しい論争の中、公家達は場を納めるために協議しようしたが、岩倉具視は「私語するとは何事か」と叱り飛ばし、会議は一旦休憩となる。

休憩中、岩倉具視は「いざというときは非常手段を取る」との覚悟を語り、これを伝え聞いた後藤象二郎は「自分達の行動は無駄な抵抗だ」と悟ることになった。

そして後藤象二郎は山内容堂を説得し、松平春嶽も決議に従うこととなり、小御所会議は決着した。

 

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翌日、小御所会議での辞官納地の決定は松平春嶽・徳川慶勝によって慶喜に伝えられた。

しかし、慶喜は部下が暴発するとの理由で一定の猶予を求めた。

慶喜の対応に大久保利通は強気に出ようとしたが、戦闘回避を求める声も根強く残っていて断念。

これを期に松平春嶽・徳川慶勝・山内容堂ら反討幕派は息を吹き返し、辞官納地問題をひっくり返そうと動き出した。

そして勢いを増した反討幕派により、身分の低い岩倉具視や大久保利通らの身分を正すことを求めた意見書が提出されると、ついに岩倉具視までもが弱気になり妥協案を考え始めた。

こうして新政府では松平春嶽・山内容堂らが小御所会議の決定を無意味なものとしてしまった。

 

 

あんたがやる気なくしちゃダメでしょーが

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一方、慶喜は大坂城で諸外国の公使と会見。

幕府には未だ外交権があることをアピールすると、慶喜は在京の譜代大名諸藩軍へ大坂へ上るよう命じた。

西郷隆盛は「大政奉還」により武力討幕の大義名分を失って以降、江戸で浪士を集めて市中に殺人・放火・掠奪・強姦など凶悪犯罪を行わせるなどの幕府に対する挑発行動を繰り返していた。

江戸警備の任にあたっていた庄内藩は、これに我慢できず幕閣の了承の下、薩摩藩邸を焼き討ちするという事件を起こす。

この江戸薩摩藩邸焼き討ちの報はすぐに薩摩、慶喜双方に届き、旧幕臣たちが暴発して鳥羽・伏見の戦いが起こる。

これに敗北した慶喜は、正式に朝敵となって追討令が出され、その後慶喜寄りだった反討幕派も討幕派へと転換していった。

 

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