西郷どん関連

参預会議(参与会議)大河ドラマ西郷どん(せごどん)で島津久光が一橋慶喜に「芋」とバカにされブチ壊された有力者の会議

投稿日:2018年6月28日 更新日:

大河ドラマ西郷どん(せごどん)
参預会議(参与会議)

大河ドラマ西郷どん(せごどん)の第26話、亡き島津斉彬の遺志を引き継いだ薩摩藩の「国父」島津久光は、ついに念願かなって朝廷、幕府、雄藩が力を合わせて新しい政治を議論する会議が開かれます。

その会議の名前が「参預会議(参与会議)」なのですが、ここで一橋慶喜は意見をコロコロと変えて周りを困らせ、久光に対しては「芋」と何度もバカにして会議をブチ壊しました。

せっかく新しい世を作るために集まった有力者たちでしたが、慶喜と久光の対立によってすぐに解散に追い込まれ、その後の薩摩藩の方針は西郷吉之助らによって「倒幕」に向かっていくことになります。

今回は、のちに江戸幕府最後の将軍となる一橋慶喜のしたたかさが分かる「参預会議(参与会議)」について紹介します。

 

バーカ!

出典:https://www.instagram.com/

スポンサーリンク

 

参預会議のメンバー

一橋慶喜(将軍後見職)

大河ドラマ西郷どん(せごどん)徳川慶喜(慶喜②)将軍となった慶喜は大政奉還を行うが戊辰戦争に発展、晩年は趣味に没頭した生活を送る
大河ドラマ西郷どん(せごどん) 徳川慶喜(慶喜②) 大河ドラマ西郷どんで、重要な役割を担うのが徳川幕府最後の将軍・徳川慶喜。 最終的には倒幕を目指す薩摩藩にとって徳川

松平慶永(越前藩前藩主・前政事総裁職)

大河ドラマ西郷どん(せごどん)松平慶永(春獄)坂本龍馬も信頼した幕末の四賢侯は、橋本左内を使って斉彬、斉昭と共に一橋派を形成した越前福井藩主
大河ドラマ西郷どん 松平慶永(春嶽) 大河ドラマ西郷どんで、島津斉彬や徳川斉昭と共に一橋派(次期将軍を一橋慶喜にしようとする派閥)に属しているのが松平慶永(春嶽)。

山内豊信(土佐藩前藩主)

山内容堂(豊信)大河ドラマ西郷どん(せごどん)参預会議に参加した前土佐藩主は丸無視ぶっこかれる大酒飲み
大河ドラマ西郷どん(せごどん) 山内容堂(豊信) 大河ドラマ西郷どん(せごどん)の第26話で薩摩の国父・島津久光は、朝廷・幕府・雄藩が力を合わせた新しい政治をするため「

伊達宗城(宇和島藩前藩主)

伊達宗城(むねなり)大河ドラマ西郷どん(せごどん)で参預(参与)会議に出席している「四賢侯」の一人
大河ドラマ西郷どん(せごどん) 伊達宗城 大河ドラマ西郷どん(せごどん)で亡き島津斉彬の遺志を継ぎ、兵を率いて幕政改革を認めさせた薩摩の国父・島津久光は、朝廷・幕府・雄

松平容保(会津藩主・京都守護職)

島津久光(薩摩藩・国父)

大河ドラマ西郷どん(せごどん)島津久光 マザコン?「国父」として幕末の薩摩藩を引っ張った西郷生涯の敵・島津久光とは
大河ドラマ西郷どん(せごどん) 島津久光 大河ドラマ西郷どんで、西郷吉之助(隆盛)の「生涯の敵」」として描かれるのが青木崇高が演じる島津久光。 有能な兄・島津斉彬と比

参預会議(参与会議)とは

参預会議開催の背景

ペリー来航後の条約調印で、幕府は反対勢力を抑えようと天皇からの勅許を得ようとしました。

これは、結果的に天皇や朝廷の権威は上昇させ、逆に大老・井伊直弼が暗殺されると幕府の権威は急激に低下し、これまで弾圧されてきた「尊王攘夷」運動が高まりを見せていきます。

このため、幕閣を中心とする者たちの中で、朝廷と結びつくことで幕府権威の低下を防ぐ「公武合体」論が生まれ、14代将軍・徳川家茂の正室に孝明天皇の妹・和宮親子内親王を降嫁させるなど「公武合体」を推し進めていきました。

また、幕府の権威低下にともない、必然的に有力諸藩の力が上昇し、諸藩にも国政に関与させる「公議政体」論が「公武合体」の発展型としてささやかれ始めました。

 

そんな折、薩摩の国父・島津久光は「公武合体」を進めるべく、文久2年(1862)に兵を率いて幕政改革を迫ります。

これにより、安政の大獄で謹慎させられていた一橋慶喜は将軍後見職、松平慶永は政事総裁職として政界に復帰。

しかし、外様かつ隠居という立場の者に脅迫されて改革をしなければならなくなった幕府の権威は著しく低下。

さらに、久光が江戸からの帰路、英国人を殺傷する生麦事件を起こし、久光の「公武合体」の意志と逆に「尊王攘夷」を掲げた志士たちが勢いづいていくことになりました。

 

【一橋慶喜の将軍後見職と松平春嶽の政事総裁職】西郷どん(せごどん)島津久光の文久の改革によって新設された役職とは?
大河ドラマ西郷どん(せごどん) 将軍後見職と政事総裁職 大河ドラマ西郷どん(せごどん)で、寺田屋騒動なで過激な尊王攘夷志士たちを処分した薩摩の「国父」島津久光は朝廷から
【生麦事件】西郷どん(せごどん)島津久光の行列に割り込んだ英国人を斬り殺した大事件で薩英戦争へ!
大河ドラマ西郷どん(せごどん) 生麦事件 大河ドラマ西郷どん(せごどん)の第25話で薩摩藩が起こした一大事件「生麦事件」。 幕府に改革を認めさせ、意気揚々と京に戻ろう

スポンサーリンク

 

尊王攘夷→公武合体→公議政体

この頃、攘夷主義者であった孝明天皇は、幕府との協調を目指していました。

しかし天皇の思いとは裏腹に、朝廷では長州藩と三条実美、姉小路公知ら過激な「尊王攘夷」派公卿が主導権を握っていきます。

これに対し「公武合体」派の皇族・中川宮朝彦親王は天皇の意向を踏まえ、会津藩と薩摩藩の協力のもと、長州藩と「尊王攘夷」派公卿らを京都を追い出しました。

朝廷から「尊王攘夷」派が一掃されたものの、「公武合体」派の中川宮らには政局を主導する能力がありませんでした。

そこで朝廷は、薩摩藩主の父・島津久光、越前藩前藩主・松平慶永、宇和島藩前藩主・伊達宗城、土佐藩前藩主・山内豊信、将軍後見職・徳川慶喜らに上洛を命じ、政局の安定を図るため今後の方策を探ろうとします。

孝明天皇は幕府へ大政を委任したままの「公武合体」の方針を示していましたが、島津久光は将軍も含めた有力諸侯の合議による「公議政体」こそが真の「公武合体」であると説き、諸侯らに協力を求めます。

諸侯はこれに賛同し、「公議政体」は朝廷に認められ、島津久光らは『朝廷参預』に任命されました。

参預の職務は、天皇の前で朝議に参加するというものでしたが、将軍・徳川家茂が再上洛した際に孝明天皇は、家茂に対して参預諸侯の政治参加と「公武合体」方針の明確化などを求めたため、参預となった諸侯は正式に幕政に参加することが可能となりました。

 

大河ドラマ西郷どん(せごどん)孝明天皇 条約調印勅許を拒否した攘夷を追求する異人嫌いの天皇の死から時代は倒幕へと向かう!
大河ドラマ西郷どん(せごどん) 孝明天皇 大河ドラマ西郷どん(せごどん)の第13話で、西郷吉之助は島津家と縁の深い京都の公家・近衛家で僧の月照と知り合います。 この時
【八月十八日の政変】西郷どん(せごどん)薩摩藩が「薩賊」と嫌われた理由とは?長州藩を京都から追い出したクーデター
大河ドラマ西郷どん(せごどん) 八月十八日の政変 大河ドラマ西郷どん(せごどん)の第26話、西郷吉之助は沖永良部島から復帰し、すぐに京都に上っていますが、この頃の京都は

スポンサーリンク

 

参預会議の議題

国政の合議機関『参預会議』の議題は、①長州藩の処分決定と②攘夷問題でした。

①長州藩の処分

京都を追放された長州藩でしたが、その後も政治工作は続けていて、京都では長州藩への同情論も多くありました。

しかし、孝明天皇の長州藩への怒りは収まらず、関門海峡で薩摩藩の蒸気船が長州藩によって沈没させられると島津久光も激怒。

久光は長州征伐の即時実行、または藩主の大坂召還などの処分を主張しましたが、山内豊信は江戸へ呼び出す方が良いと主張して意見が対立します。

結局『参預会議』では、長州藩の家老を大坂へ召還と、七卿(三条実美ら京を追われた公卿)の引き渡しを命じることに決定し、従わない場合に長州征伐を実行することとなりました。

②攘夷問題

孝明天皇が熱心な攘夷論者であったため、『参預会議』では、これまで幕府が結んだ条約の破棄や、鎖港(港の閉鎖)が議論されました。

しかし、参預たちはもともと開国的な考えを持っており、諸外国との条約破棄は非現実的であり、攘夷は不可能であると確信していました。

このため攘夷としての議案は、兵庫港の開港阻止と横浜港の鎖港となります。

孝明天皇から攘夷実行を約束させられていた幕府は、不可能を承知の上で横浜鎖港を打ち出し、『参預会議』においても徳川慶喜が薩摩藩の台頭を警戒して、わざと島津久光と反対の立場を取り、横浜鎖港の実行を主張して激しく衝突しました。

 

ムカーっ!

出典:https://www.instagram.com/

スポンサーリンク

 

参預会議の崩壊

徳川慶喜と島津久光の対立の激化によって『参預会議』は全く進まなくなりました。

中川宮は皆を慰労しようと酒席を設けますが、泥酔した徳川慶喜は島津久光らを指さして「こいつらは天下の大愚物・大奸物であり、後見職たる自分と一緒にしないでほしい」と暴言を吐きます。

これに激怒した久光は『参預会議』を見限り、幕府支持の立場から朝廷支持へと傾いていきました。

一方、慶喜は幕府老中らとも対立し、老中・水野忠精からは「『参預会議』は天下の害物」とまで言われるようになります。

結局、慶喜が参預を辞職すると、他の参預も次々と辞職して『参預会議』は崩壊。

その後、徳川慶喜は将軍後見職も辞して、朝廷から禁裏御守衛総督に任ぜられ、幕府から距離を置いて独自の行動をとるようになります。

一方、島津久光は『参預会議』の崩壊によって、薩摩藩主導による幕府改革は難しくなり、以後は幕府より朝廷に重きを置いて倒幕へ向かっていくことになりました。

 

スポンサーリンク

大河ドラマ西郷どん(せごどん)あらすじ・ネタバレ・感想・期待度まとめ【初回から最終回まで】
大河ドラマ「西郷どん(せごどん)」全話 あらすじ・ネタバレ・感想・期待度まとめ この記事では、2018年NHK大河ドラマ「西郷どん(せごどん)」全47話のあらすじ・
大河ドラマ西郷どん(せごどん)の【説明記事一覧】疑問に思った内容や人物を簡単に紹介!
大河ドラマ西郷どん(せごどん) 背景・関連記事・説明記事一覧 この記事では、大河ドラマ西郷どん(せごどん)の本編にある背景や、史実をもとに紹介した関連記事、疑問に思うワ

スポンサーリンク

-西郷どん関連

執筆者:


comment

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

関連記事

大河ドラマ西郷どん(せごどん)論語とは?名君・斉彬がすぐに改革をしなかった理由は、論語の『襲封(しゅうほう)して3年~』の一節から

大河ドラマ西郷どん なぜ、斉彬はすぐに改革しなかったのか? 論語『襲封(しゅうほう)して3年~』の意味 大河ドラマ西郷どんの第5話「相撲じゃ!相撲じゃ!」の冒頭、新藩主に就任した島津斉彬に対し、有村俊 …

大河ドラマ西郷どん(せごどん)有村俊斎(海江田信義)西郷吉之助に嫉妬し、久光に接近した軽率な行動が目立つ維新志士

大河ドラマ西郷どん(せごどん) 有村俊斎(海江田信義) 大河ドラマ西郷どん(せごどん)で、西郷小吉(隆盛)たちの下加治屋町郷中と競い合う高麗町郷中に所属している有村俊斎(のちの海江田信義)。 小さい頃 …

【那波列翁伝とナポレオン】西郷どん(せごどん)で川口雪篷が話す「革命」の大英雄ナポレオンとは?

大河ドラマ西郷どん(せごどん) 那波列翁伝とナポレオン 大河ドラマ西郷どん(せごどん)で沖永良部島に流されている西郷吉之助。 吉之助はこの島で出会った人物・川口雪篷(かわぐちせっぽう)と共に、身分の隔 …

大河ドラマ西郷どん 安政の大地震(安政江戸地震)篤姫が駆け落ち?一番揺れたのは篤姫の気持ちか?震度6以上の江戸直下型地震

大河ドラマ西郷どん(せごどん) 安政の大地震(安政江戸地震) 発生日:安政2年10月2日 午後10時 (1855年11月11日) 大河ドラマ西郷どん(せごどん)の第12話で、江戸で未曾有の大地震が発生 …

大河ドラマ西郷どん【島津忠剛・ただたけ】於一(篤姫)の実父は藩主・島津斉彬の願いで於一を島津本家の養女に送り出す。

大河ドラマ西郷どん(せごどん) 於一(篤姫)の父 島津忠剛(ただたけ) 大河ドラマ西郷どん(せごどん)で藩主の島津斉彬は、一族の中にあって利発な於一(篤姫・天璋院)を気に入り、自分の養女として将軍家に …