大河ドラマ西郷どん(せごどん)
ケンムン
大河ドラマ西郷どん(せごどん)の第18話「流人 菊池源吾」で紹介された「ケンムン」という物の怪。
奄美大島の子供たちは、奇妙な行動をしている菊池源吾(西郷吉之助)を見て「ケンムン」が出たと騒ぎ立て、これを聞いた「とぅま(愛加那)」は『あれは薩摩から来たケンムンだ』、『こんなとこうろついてると本物のケンムンに食われるぞ』と脅かしています。
また、「とぅま(愛加那)」は西郷から手の甲の入れ墨(ハジキ)について質問された時、『魔除けのため。死んだ時に「ケンムン」という鬼に連れられて極楽に行けないといけないから』と答えています。
一体、この「ケンムン」という物の怪は、奄美大島においてどのような妖怪として認知されているのか、今回簡単に紹介したいと思います。
ケンムン
大河ドラマ「西郷どん(せごどん)」で名前だけ登場した奄美大島の妖怪・ケンムンは、本土に伝わる河童や沖縄のキジムナーと似た外見をしている妖怪。
大きさは子供の身の丈のほどで、顔は犬、猫、猿などに似ているという。(かなり幅が広いww)
目は赤く鋭い目つきで、尖った口を持ち、髪は黒または赤のおかっぱ頭、肌は赤っぽい色で、全身に体毛をまとっている。
河童の類は水場の近く生息するのが常だが、ケンムンはガジュマルの木を住処としており、木の精霊ともいわれる。
ガジュマルの木
ケンムン自体の名は「怪の物」からなまったとされ、得体の知れない存在を意味しているという。
本土の河童と同様に頭に皿があるケンムンは、相撲好きで人に逢えば挑戦し、人に害を与えず、木こりや薪拾いを手伝う「良い妖怪」だった。
この点においては、前年の大河ドラマ「おんな城主 直虎」の竜宮小僧と良く似た性質をしている。
直虎での竜宮小僧
しかし、このケンムンは幕末の頃から一転して危険で忌み嫌われる存在となる。
人を脅かしたり、人を道に迷わせたりするぐらいの軽いイタズラから、子供をさらって魂を抜き取ることまでしたとされ、大人でも意識不明にさせられてカタツムリを食べさせられたり、川に引き込まれることもあったという。
ケンムンに対抗するには、苦手とするタコを投げつけるなどの脅しや、家の軒下に豚足の骨を吊り下げる方法があった。
しかし、これら対抗策も度が過ぎると逆にケンムンに祟られてしまい、目を病んだり、ひどい時は命を落とした。
相撲を挑まれた際に逆立ちをしたり、お辞儀をしてみせると、ケンムンもそれを真似するので、皿の水がこぼれて逃げていくというカワイイ逸話も残っている。
太平洋戦争後の乱開発の際、島民はケンムンの祟りを恐れ「マッカーサーの命令だ」と叫びながら伐採していた。
ガジュマルなどの住処を失ったケンムンは途端に目撃情報が少なくなり、後にマッカーサーがアメリカで死去した時に「ケンムンがいなくなったのは、アメリカに渡ってマッカーサーに祟っていたためだ」と島民たちは話したという。
それでもケンムンの目撃情報は現在でもあり、奄美大島の都市伝説として今もなお語り継がれている。
おわりに
「ケンムン」の外見からは、「とぅま(愛加那)」が話したような鬼のイメージは全くありません。
おそらく「ケンムン」は、もともとの善良な妖怪をベースに、本土からの「河童」のエピソードなど様々な要素が盛り込まれていったものと考えられます。
たしかに「とぅま(愛加那)」たち奄美大島の女性は、『魔除け』として手の甲に入れ墨(ハジキ)を入れる風習がありました。
しかし「ケンムン」との関連性はあまり無いようです。(奄美大島の人に直接確認したわけではありませんが・・)
大河ドラマ西郷どん(せごどん)では、かなり極悪な妖怪として扱われていますが、下の写真のように地元ではある意味愛される妖怪なのかも。
なぜか今回、極悪妖怪に仕立て上げられてしまった「ケンムン」。
ちょっとかわいそうですよね。
出典:http://yurangopark.amamin.jp/
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