大河ドラマ西郷どん(せごどん)
【家慶・家定・家茂・慶喜】
幕末の徳川家の人物をまとめて紹介!
大河ドラマ西郷どん(せごどん)では、幕末の動乱期に次々と江戸幕府の将軍が変わっていきます。
順番に並べると、
12代将軍・徳川家慶(いえよし)
13代将軍・徳川家定(いえさだ)
14代将軍・徳川家茂(いえもち)
15代将軍・徳川慶喜(よしのぶ)
てな具合。
ここでは、上記4人の徳川将軍をまとめた記事を紹介しています。
みんな頑張ってる?
徳川家慶(12代将軍)
最初に紹介するのは、第12将軍の徳川家慶。
大河ドラマ西郷どんの中での徳川家慶は、島津斉彬の父で薩摩藩主の島津斉興に茶器を渡して隠居勧告をする将軍様として登場。
あまり活躍する場面はありませんが、家慶の「慶」の字は、最後の将軍となる徳川慶喜や、斉彬の協力者である越前福井藩主の松平慶永が「慶」の字を用いています。
だから何だ?って話ですがw
下の記事では、史実の徳川家慶の生涯について簡単に紹介しています。
徳川家定(13代将軍)
次に紹介するのは、家慶の子で第13代将軍の徳川家定。
又吉直樹先生が演じる徳川家定は、史実においても病弱で、奇行が目立つ変わった将軍様。
妻に次々に先立たれ、自分も病弱であることを気にしてか、「死」に対して少し臆病なところを持っています。
しかし、自ら「丈夫」だと話す篤姫を継室に迎えてから、篤姫を信頼して少し立派な将軍らしい一面も見せ、大河ドラマを盛り上げていきます。
下の記事では、史実の徳川家定を中心に簡単に紹介しています。
徳川家茂(14代将軍)
第14代将軍・徳川家茂は、家定の子ではなく紀州藩主から将軍になった人物。
病弱だった徳川家定のあとの将軍後継者問題で、次に紹介する徳川慶喜(一橋慶喜)と争い、井伊直弼のゴリ推しで将軍になった徳川家茂(このときは徳川慶福)ですが、就任当初は13歳の少年で全く実権はありませんでした。
大河ドラマでは、一橋派に協力していた篤姫を嫌い、井伊直弼のいいなりの将軍のように見えますが、史実では家茂は「名君」と思えるような逸話も残しており、成長後の活躍が期待されます。
下の記事では、史実での徳川家茂を感動する逸話を織り交ぜて紹介しています。
徳川慶喜(15代将軍)
最後に紹介するのは、15代将軍の徳川慶喜。
徳川慶喜は、「烈公」と呼ばれた前水戸藩主・徳川斉昭の子で、幼い頃から優秀な人物として名が知られており、12代将軍・家慶も一度は自分のあとの将軍にしようとしていました。
この時は、阿部正弘の反対によって後継者になれませんでしたが、次の13代将軍・家定の後継者として再び慶喜の名が上がります。(このときは一橋家に養子に出されて一橋慶喜)
慶喜を推したのは、父・斉昭や島津斉彬たちで「一橋派」と呼ばれる派閥を形成。
紀州藩主・徳川慶福を推す、井伊直弼らの「南紀派」と激しく争いましたが、結局「一橋派」は敗れて、このときも慶喜は将軍になれませんでした。
慶喜自身は将軍になることを望んでいなかったといわれ、大河ドラマの中でも、はじめは世捨て人、遊び人のような男として登場します。
下の記事では、将軍就任前の「一橋慶喜」と将軍就任後の「徳川慶喜」に分けて簡単に紹介しています。