いだてん関連 その後

大森兵蔵と安仁子のその後|いだてん|大森夫妻のオリンピック後はどうなった?知れば知るほど引き込まれるスゴイ人!

投稿日:2019年3月19日 更新日:

大河ドラマ「いだてん」
大森兵蔵と安仁子のその後

大河ドラマ「いだてん」の第13話、マラソンを途中棄権し帰国することになった金栗四三は、病状が悪化し静養してから帰るという大森兵蔵に別れの挨拶をしようとしますが、ドアの前で大森安仁子に「察して下さい」と面会を断られてしまいます。

金栗四三はその後、次回オリンピックが開催されるベルリンに立ち寄ってから帰国しますが、日本初のオリンピック参加に同行したこの大森夫妻のその後はどうなってしまうのでしょうか?

この記事では「大森兵蔵と大森安仁子のその後」と題して、涙なくしては語れないオリンピック後の大森夫妻のその後をまとめました。

特に「いだてん」ではシャーロット・ケイト・フォックスさんが演じる大森安仁子さん、その生涯を知ってしまったら「尊敬します」という言葉すら軽いと思えるぐらい、本当に本当にスゴイ人です。

乱雑な記事で大森夫妻には本当に申し訳ありませんが、是非皆さんにも大森安仁子さんの愛を知って欲しい!

NHKさん、いつか大森夫妻、大森安仁子さんを題材にした大河ドラマか朝ドラを制作して下さい!

 

出典:https://www.instagram.com/

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大森兵蔵のその後

大河ドラマ「いだてん」で大森兵蔵はずっと咳をしていますが、ドラマに登場するずっと前、アメリカ留学から帰国した当時から肺結核を患っていました。

それでも大森兵蔵は日本スポーツ発展のために日本代表監督を引き受け、ストックホルムまでの長旅をしていたのです。

ストックホルム・オリンピックでは金栗四三、三島弥彦は惨敗することになりますが、日本人のオリンピックへ初参加、その後の日本スポーツの発展は大森兵蔵なくしては成し遂げられなかったと言っていいでしょう。

さて、大森兵蔵はストックホルムでの悪条件の中、マラソンに出場した金栗四三を応援していましたが、その後体調を崩して医者からも絶対安静とされてしまいました。

金栗四三たち日本選手団が帰国する際には、妻の安仁子が面会を断るほどの重症だったといいます。

このため大森兵蔵はストックホルムに残って静養することになりますが、実はこの大森兵蔵は日本代表監督以外の重責のほかにも文部省からはアメリカの体育施設を視察を依頼されていました。

なんとか病状が落ち着いた大森兵蔵は、日本に帰国することなくアメリカへ向かいますが、長旅が体に障ったのか、アメリカに着いた頃には病状はさらに悪化させてしまいます。

一旦、日本への帰国を決意した大森兵蔵ですが、妻の安仁子は船旅には到底耐えられないと判断し、アメリカで入院させることを決断します。

しかし1913年(大正2年)、治療の甲斐なく大森兵蔵はアニーに看取られて短い生涯を終えることになりました。享年38。

最愛の夫を失った安仁子はその後、大森兵蔵が受けていたアメリカ体育施設の視察を行って報告書を作成、日本に帰国してから児童福祉事業、貧困地域を支援する社会事業で多大な貢献をしていくことになるのです。

大森安仁子との出会いから兵蔵を知るには↓

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大森安仁子のその後

夫の死後、日本で社会福祉事業に着手した大森安仁子

大森兵蔵の遺志を引き継ぎ、文部省の依頼を全うした大森安仁子は日本へ帰国し「有隣園」の運営に尽力していきます。

「有隣園」とは、大森安仁子が亡き夫と共にオリンピックの1年前、1911年(明治44年)に完成させた子供に遊びを指導することから始まり、のちに保育園としての機能も持っていく児童福祉施設です。

この「有隣園」を運営する中、大森安仁子は日本の社会事業への貢献を誓い、反対派を押し切って「東京児童遊園協会」を発足させて東京に公園を作ることを主張しました。

公園自体は東京市長が消極的だったため実現することはありませんでしたが、その後も大森安仁子の活動は止まることはありません。

1916年(大正5年)、大森安仁子は私財を投じ、会館を建てて「有隣園」の事業を拡大。

また、勤労青年の夜間学校「徒弟夜学校」を開設するなど、児童福祉事業だけでなく貧困層への社会事業も行っていきました。

やがて日本社会でも貧困問題が真剣に議論されるようになると、大森安仁子は社会事業の先駆けとして高く評価されます。

そして「有隣園」にも国、東京都、東京市、宮内庁から資金が出るようになり、大森安仁子の事業は軌道に乗っていきました。

 

出典:https://www.instagram.com/

 

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日本への貢献、亡夫への愛、これが大森安仁子!

次に大森安仁子が目指したのは診療所の開設で、これは1922年(大正11年)に「済生会東京府淀橋診療所」を開いて実現させました。

翌1923年(大正12年)、関東大震災が発生。

大森安仁子の「有隣園」は生活必需品の配給のほか、職業紹介所を開設して被災者の社会復帰を支援し、続く昭和恐慌の際にも無料宿舎事業を始め、貧困層を支援し続けました。

これら「有隣園」の支援事業は国の補助金のほか、外国からの寄付金で賄われていましたが、日米関係の悪化で外国からの寄付金が次第に減って「有隣園」の財政は悪化していきます。

それでも大森安仁子は老人ホームの開設を目指しましたが、「有隣園」は事業の縮小を余儀なくされました。

「有隣園」の運営が厳しくなりましたが、対米感情が悪化する中でも国は大森安仁子の功績を高く評価し表彰までしています。

その後、84歳になった大森安仁子は第一線を退き、河口湖の別荘へと移って静養。

そして1941年(昭和16年)、大森安仁子は自分が描いた夫・大森兵蔵の肖像画に見守られながら死去しました。享年85。

大森兵蔵が亡くなってからすっと大森安仁子は黒い服しか着ず、命日には人に会わずに部屋で亡き夫を忍んでいたといいます。

この大森安仁子の死後、「有隣園」は太平洋戦争で焼失してしまいますが、大森安仁子の右腕であった松田竹千代はベトナム戦争中に現地で孤児職業訓練センター「有隣園」を設立し、孤児の救済に尽力しています。

 

出典:https://www.gllc.or.jp/

大森兵蔵との出会いから安仁子の生涯を知るには↓

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