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井上馨(聞多)大河ドラマ西郷どん(せごどん)伊藤俊輔の兄貴分で「外交の父」と称えられた明治政府の重鎮

投稿日:2018年8月20日 更新日:

大河ドラマ西郷どん(せごどん)
井上馨(聞多)

大河ドラマ西郷どん(せごどん)での薩長同盟成立後の第33話で起こる第二次長州征伐。

激しい戦いが繰り広げられる中、薩摩藩から最新の武器を調達していた長州軍は、4方向から襲いかかった幕府軍を散々に蹴散らします。

この戦闘で活躍していたのが、第32話の薩長同盟成立に貢献した伊藤俊輔(博文)と共にイギリス留学を経験していた人物「井上馨(聞多)」でした。

今回は、のちに初代外務大臣として「外交の父」と称えられる「井上馨(聞多)」の生涯について簡単に紹介していきます。

※大河ドラマ「西郷どん」では忍成修吾が演じています。

 

出典:https://www.instagram.com/

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井上馨(聞多)

攘夷から開国へ

井上馨は天保6年(1836)に長州藩士・井上光亨の次男として生まれ、20歳のときに長州藩士・志道(しじ)氏の養嗣子となった。

安政2年(1855)、藩主・毛利敬親の参勤交代に従って江戸に下向して蘭学を学び、敬親の小姓となって通称「聞多」の名を与えられた。

長州帰国後、西洋軍事訓練に加わった聞多は、文久2年(1862)に敬親の養嗣子・毛利定広の小姓を勤めて江戸へ再下向。

江戸遊学中、聞多は次第に尊王攘夷運動に傾倒するようになり、過激な行動に及ぶことを心配した定広の命令で謹慎させられてしまった。

しかし、聞多は全く改心することなく、謹慎後に高杉晋作や久坂玄瑞・伊藤俊輔らと共にイギリス公使館焼討ちに参加している。

 

文久3年(1863)、聞多は藩に洋行を嘆願して認められ、伊藤俊輔・山尾庸三・井上勝・遠藤謹助と共にイギリスへ密航した。

すると、聞多たちはロンドン大学で国力の違いを見せつけられ、「攘夷論」を捨てて「開国論」に転じることとなる。

一方、故郷の長州藩は攘夷実行を果たすため、下関を通る外国船を砲撃する事件が発生していた。

この報がイギリスにも伝わると、聞多と伊藤俊輔の2名は急遽帰国して攘夷の中止を訴え、和平交渉に尽力することになった。

 

左下:井上馨(志道聞多)

出典:http://bakuren.seesaa.net/

 

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長州藩での対立

その後、幕府による長州征伐が始まったため、長州藩庁では毛利敬親・元徳(定広)親子のもと御前会議が開かれた。

「幕府に恭順すべし」とする俗論党が主導権を握る中で、聞多は「形のみの恭順とし、いつでも反撃できるように武力を増強する『武備恭順』が必要」と強く主張した。

これによって聞多は俗論党の藩士から危険視され、その夜に襲撃されて背中や頭部に深手を負ってしまう。

近隣の農夫によって自宅へと運ばれた聞多は瀕死の状態で、兄に介錯を頼むほどの重傷であった。

この時、母親が血だらけの聞多を抱き、兄に対して介錯を思いとどまらせたという。

やがて、友人の医師・所郁太郎が駆けつけ、50針以上の大手術を行い聞多は一命を取りとめた。

しかし、この事件によって俗論党は完全に藩政を掌握することとなった。

 

 

出典:http://sunyama.soreccha.jp/

 

 

懸命の治療の甲斐あって体調は回復したが、俗論党の命令で謹慎処分にされたために聞多は身動きが取れなくなっていた。

しかし、高杉晋作が功山寺で挙兵すると、聞多もこれに参加して俗論党を倒し、長州藩の藩論を「開国攘夷」に統一する。

その後、聞多が長崎で外国商人・グラバーから銃器を購入したことから坂本龍馬と繋がり、やがて薩長同盟が成立する。

第二次長州征伐が起こると、聞多は石州口で戦って勝利し、広沢真臣と共に幕府の代表・勝海舟と休戦協定を結んだ。

 

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明治維新後

王政復古後、聞多は新政府から長崎府判事に就任し、銃の製作や鉄橋の建設を進めたほか造幣局知事も務め、明治2年~3年(1869~1870)にかけて発生した長州の奇兵隊脱隊騒動を鎮圧。

この間に死去した兄の家督を継承し「井上馨」と名乗る。

木戸孝允の引き立てで大蔵省に入ったのちは、伊藤博文(俊輔)と共に財政に力を入れていった。

その後、大久保利通、木戸孝允、伊藤博文らが岩倉使節団に加わって外遊する間、留守政府を預かった馨は「今清盛」と呼ばれるほどの権勢をふるったが、予算問題で各省と衝突し、司法卿・江藤新平らに汚職事件で追及されて辞職させられてしまう。

馨は三井財閥と密接な関係にあり、賄賂と利権で私腹を肥やしていたことが当時から批判されており、西郷隆盛などは岩倉使節団出発前夜の送別会で馨を「三井の番頭さん」と皮肉っていたという。

使節団の帰国後、新政府では征韓論を巡り西郷隆盛、江藤新平、板垣退助らが下野して士族の反乱が起こったが、先に下野していた馨はそれらに全く関わらなかった。

 

 

出典:https://kotobank.jp/

 

 

明治8年(1875)、伊藤博文の強い要請で政界に復帰した馨は大久保利通の暗殺後、政府の中心になっていった伊藤博文を外交の部分で補佐。

批判を受けつつも外務卿として条約改正の観点から欧化政策を推進し、鹿鳴館と帝国ホテル建設に尽力した。

明治34年(1901)の第4次伊藤内閣の崩壊後、馨が内閣総理大臣になる機会があったが、右腕だった渋沢栄一に協力を断られたため断念。

伊藤博文の暗殺後は元老として、政官財界に絶大な影響力を持っていたが、大正2年(1913)に脳溢血に倒れてから車椅子生活となり、大正4年(1915)に死去した。享年79。

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