大河ドラマ西郷どん(せごどん)
西郷従道(じゅうどう・つぐみち)
大河ドラマ西郷どん(せごどん)は、西郷隆盛が死んだ21年後の上野公園から舞台がスタート。
記念すべき第1回(初回)で最初に登場するのは、隆盛ではなく錦戸亮が演じる弟の西郷従道(じゅうどう・つぐみち)で、隆盛の妻・糸や自分の娘・桜子と共に西郷隆盛の銅像の除幕式に参列します。
この西郷従道は、第2話目以降は生まれたばかりの幼い子「西郷信吾」として登場し、物語にはしばらく関わってきません。
でも、せっかく登場したので今回は、この西郷従道(西郷信吾)について簡単に紹介していきます。
西郷従道(さいごうじゅうどう・つぐみち)
西郷従道は、天保14年(1843年)に西郷吉兵衛の三男として生まれた。幼名は竜助。
西郷隆盛との年齢差は15歳である。
有村俊斎の推薦により、薩摩藩主・島津斉彬の茶坊主となって「竜庵」と号したが、文久元年(1861年)に還俗、名を「隆興」、諱を「信吾(慎吾)」と改名した。
斉彬を信奉し、尊王攘夷を掲げる精忠組に参加した従道は、文久2年(1862年)に倒幕を目指す精忠組内の過激派・有馬新七らと京の寺田屋で合流する。
しかし従道は、過激派藩士の粛清の乗り出した薩摩藩の大山格之助(大山綱良)から説得を受けて投降した。
この寺田屋事件では、従道はまだ年少だったため謹慎処分ですみ、翌年の薩英戦争時には謹慎も解けている。
その後、戊辰戦争では鳥羽・伏見の戦いで重傷を負うも各地を転戦し続けた。
明治維新後、名前を登録する際に「隆興」を「リュウコウ」と説明したが、訛りがひどく「ジュウドウ」と聞き取られ「従道」と記録された。
明治政府の中で、従道は陸軍少将となるなど厚遇された。
明治6年(1873年)に、兄の隆盛が征韓論をめぐって新政府を辞職したが、従道は政府に留まり、その後の台湾出兵時には蕃地事務都督として軍勢を指揮した。
明治10年(1877年)、隆盛が挙兵した西南戦争では、従道は隆盛に協力せずに政府の留守を守った。
以後は、政府内で重鎮として君臨。内閣総理大臣候補に何度も推薦されたが、逆賊(隆盛)の弟であることを理由に断り続けた。
明治35年(1902年)、胃癌のため死去。