大河ドラマ「西郷どん(せごどん)」
西郷信吾(錦戸亮)がクズすぎる件
大河ドラマ西郷どん(せごどん)の第22話で登場するのが、ジャニーズ錦戸亮超イケメンのなった西郷吉之助の弟・西郷信吾(従道)。
実はこの西郷信吾(従道)は、大河ドラマでは初回冒頭のシーンで登場しており、「兄さぁもこいで浮かばれますなぁ」という登場人物の中で一番最初のセリフを発しています。
初回は明治31年の話だったので、55歳の西郷信吾(従道)は髭をたくわえた初老の人物でした。
そして2話目以降は、家族の話を聞きもしない、ご飯を食べまくる子供の西郷信吾(従道)。
家族団らんの西郷家のシーンでの、西郷信吾(従道)の食いっぷりには自然と目がいっちゃいました。
また、島津斉彬が藩主に就任した際も「これが新しいお殿様かー」って声をかけてました。
周りは無礼な西郷信吾(従道)に血の気も引いてましたが、斉彬からは「よいよい。子は国の宝だ」と寛大な言葉を頂いてます。
さぁここからが本題です。
第22話で大人(錦戸亮)になった西郷信吾(従道)は、そのままおおらかに育ち過ぎたのか、吉之助が奄美大島に行ってしまってひん曲がってしまったのか分かりませんが、とにかくクズ野郎として再登場。
なにがヒドイって、兄・吉之助の名声を借りてかなり調子こいちゃってます。
自分のことを「西郷どん(せごどん)と呼んでくいやい」と周りの者達に話すのが、大人信吾の最初のセリフ。
そもそもこの大河ドラマの題名「西郷どん(せごどん)」という言葉は、これまで誰も言ったことがありません。
「お前なんかい!」とツッコミたくなるところです。
そして西郷信吾(従道)は、精忠組に所属して「倒幕」を掲げていた過激派・有馬新七の影響をモロに受けていました。
薩摩藩のやり方が手ぬるいと思った志士たちが京に集まって倒幕への計画を練る中、西郷信吾(従道)は「精忠」の文字を刺繍した赤い羽織を着て、仲間たちと肩で風を切って町を歩きます。
このときの年齢は18歳なので過激な行動や派手な格好というのは分からなくもないです。今でいうと成人式で暴れている人みたいな感じかな~。
「西郷の弟」というだけで、諸藩の者達から一目置かれ、西郷信吾(従道)はさらに調子をぶっこいていきます。
京に来る前に下関に寄っていた西郷信吾(従道)は、薩摩藩と交流のある商人から支度金として30両を預かっていました。
まんまと30両を手に入れた西郷信吾(従道)は、この金を使って祇園の茶屋で豪遊。
芸妓「おゆう(のちに大久保の妾となる)」に入れ込み、金にモノを言わせて身請けしようとしました。
ご飯大好き信吾が、ただの女好きになってしまった・・・・
このままでは、とんでもないクズ野郎で終わってしまいそうですが、それはさすがに吉之助が許しません。
「おゆう」を口説いてる最中に乱入してきた吉之助は、30両に手をつけた西郷信吾(従道)をブン投げてお説教。
西郷信吾(従道)も負けずに言い返しましたが、吉之助からは「お前の言葉は有馬さぁの受け売りだろうが!」と一喝されて何も言えなくなってしまいました。
そして、ふてくされた西郷信吾(従道)は吉之助の隙をつき、襖を蹴り倒して逃げていきました。もうムチャクチャですww
でも、そんな西郷信吾(従道)もカワイイところがあります。
命令違反をした吉之助が処分されそうになった際、集まった郷中メンバーと一緒に「ウナギ捕り」をすると、西郷信吾(従道)は仲間に入れてもらったことが嬉しくて飲み過ぎてしまいます。
帰り道、吉之助におぶってもらう姿なんて、まさに子供のよう。
吉之助にとってもカワイイ弟であることは変わらず、大久保一蔵には「自分に何かあったら信吾を頼む」とあとを託していました。
結局、兄が奄美大島に流されていた寂しさからだったのか、その後の西郷信吾(従道)はすっかり更生して吉之助を信頼しています。
寺田屋騒動では仲間同志の決闘を止めるため「兄さぁがいたらこんなことはやめるようにいうはずだ」と自ら仲裁に入り、それが叶わないと分かると「またみんなでウナギを獲って食べたい」と泣いてすがりついてます。
曲がった道を歩いていたこともありましたが、やっぱり西郷信吾(従道)は心優しき吉之助の弟。クズ野郎のはずがない。
のちに沖永良部島に流された吉之助が薩摩に戻る際は、迎えに行って奄美大島の愛加那にサプライズで会わせるなど粋なこともやってくれますよ。