大河ドラマ西郷どん(せごどん)
安政の大地震(安政江戸地震)
発生日:安政2年10月2日 午後10時
(1855年11月11日)
大河ドラマ西郷どん(せごどん)の第12話で、江戸で未曾有の大地震が発生します。この記事では、突如として江戸を襲ったこの大地震・安政の大地震(安政江戸地震)を簡単に紹介します。
ちなみに大河ドラマの中で、この大地震で倒壊する薩摩藩邸で、吉之助に守られた篤姫は感情が爆発し、吉之助に自分を連れてこのまま逃げて欲しいと懇願しています。
この時、吉之助は気持ちをくみ取り、一緒に駆け落ちしようと決意しましたが、篤姫にとっては吉之助が気持ちに応えてくれただけで十分だったようで、すぐに冷静になり礼を言って立ち去っていきました。
ん?なにこれ?揺れたのは地面だけじゃなく、篤姫の気持ち?
銭型警部なら、きっと言いますよ「あの大地震は大変なものを揺らしていきました。あなたの心です」ってね。
不謹慎かとは思いましたが、どうしてもツッコミたかったので・・・すいません・・・
近年の地震で被災された方々、特に西郷隆盛とも縁がある熊本のいち早い復興を心より願っております。
安政の大地震(安政江戸地震)
「安政の大地震」とは、一般的に嘉永、安政年間(1854~1860)までに日本各地で発生した大きな地震のことを指し、その中の安政2年10月2日(1855年11月11日)午後10時ごろに発生した関東地方南部の大地震を「安政江戸地震」という。
ここでは、この「安政江戸地震」についての説明します。
また、日本各地で発生した「安政の大地震」をまとめたものについては別記事で説明しています。
規模と被害
安政江戸地震は、関東直下地震で規模はM7クラスだったといわれ、特に強い揺れを示したのは隅田川東側であった。
震度6以上の揺れは江戸付近に限られる一方で、震度4以上は東北地方~東海地方まで及んでいた。
被害は関東平野南部の狭い地域に限られたが、大都市であった江戸の被害は甚大であり、幕府による公式調査では死者:4,741人、倒壊家屋:14,346戸とされている。
さらに寺社領や武家屋敷を含めると、死者は1万人を超えたともいわれる。
地震直後には30箇所以上から火事が発生したが、小雨で風も弱かったために大規模な延焼は起きず、翌日の午前10時頃には鎮火。
しかし、旗本・御家人らの屋敷は約80%が焼失した。
このほか、液状化現象も発生しており、亀有では田畑に沼ができて損害は約3万石にのぼったが、津波が起きたという記録は無い。
出典:https://www.edo-tokyo-museum.or.jp/
幕府と水戸藩の被害
この地震で江戸城や武家屋敷が大被害を受け、将軍・徳川家定は一時的に吹上御庭に避難。
幕府は、前年に起きていた安政東海・南海地震で被災した各藩に対する復旧事業の出費に加え、この地震による被災者への支援と江戸の復興に出費がかさみ、財政を著しく悪化させた。
また、この地震で最も人的被害を受けたのは水戸藩で、小石川の藩邸が倒壊した際に、徳川斉昭の腹心であった戸田忠太夫、藤田東湖らが圧死した。
その後、藩の指導者を失った水戸藩は内部抗争が激化して暴走、過激派が安政7年(1860年)に桜田門外の変を起こすことになる。
大発明?地震予知器
地震発生の約2時間前、「浅草御蔵前通大墨」という眼鏡屋が所有する大きな磁石にくっついていた古釘など金物が全て落下し、地震後にまたくっつける力を回復したという。
この現象を聞いた幕末の発明家・佐久間象山は地震予知器を開発した。
それは磁石の先端に火薬をつけて、火薬が落下すれば大地震が来るというものだったが、科学的根拠は全くなかった。