大河ドラマ西郷どん(せごどん)
有村俊斎の過激な弟たち
有村雄助と有村次左衛門
大河ドラマ西郷どん(せごどん)で登場するつるつる頭の有村俊斎。
いつも、ひょうきんなムードメーカーのような役割を果たしていますが、実はこの俊斎の弟達はとんでもないテロリストに成長しますw。
今回は、桜田門外の変で井伊直弼の暗殺を実行した有村俊斎の弟・有村雄助と有村次左衛門について簡単に紹介します。
こえーよ。弟w
有村雄助(兼武)
天保6年(1835年) 薩摩藩士・有村兼善の三男として生まれる。母は連寿尼(森元高見の娘)。
兄は有村俊斎(のちの海江田信義)、弟に有村次左衛門(兼清)がいる。
尊皇攘夷思想に傾倒し、安政5年(1858年)に弟・次左衛門とともに薩摩藩を脱藩して江戸で活動を行い、水戸藩士・高橋多一郎らの志士と交流を深めた。
安政6年(1859年)に、安政の大獄が起きると雄助たちは憤慨し、大老・井伊直弼暗殺と京都での挙兵を計画する。
安政7年3月3日(1860年3月24日)の桜田門外の変で、次左衛門や水戸浪士らに井伊直弼が暗殺されると、雄助も呼応して水戸藩士・金子孫二郎、佐藤鉄三郎とともに挙兵のため京都に向かった。
しかし、幕府によって藩士が捕らえられることを恐れた薩摩藩は、伊勢国・四日市で雄助らを捕縛し、伏見の薩摩藩邸に送った。
その後、金子、佐藤は幕府の手に渡されて江戸に送られ、雄助は薩摩に送られて藩命により自刃させられた。享年26歳。
有村次左衛門(兼清)
天保9年(1839年) 、薩摩藩士・有村兼善の四男として生まれる。母は連寿尼(森元高見の娘)。
兄に有村俊斎(のちの海江田信義)、有村雄助(兼武)がいる。
次左衛門は剣術に才があって、薩摩では薬丸兼義に薬丸自顕流を学び、江戸では北辰一刀流を修めた。
安政5年(1858年)に兄・雄助とともに薩摩藩を脱藩して江戸で尊攘活動を行い、水戸藩士らと交流を深める。
安政6年(1859年)安政の大獄が起きると憤慨し、大老・井伊直弼暗殺を水戸藩士らと計画。
次左衛門は襲撃グループの一員となり、安政7年3月3日(1860年3月24日)の朝、登城する井伊直弼を狙って桜田門外で行列を襲撃した。
この時、次左衛門は井伊直弼の乗った駕籠を襲い、引きずり出して首級をあげた。
すぐに首を持ち去ろうとした次左衛門だったが、護衛の彦根藩士に後頭部を斬られ重傷を負ってしまう。
自分は助からないと感じた次左衛門は割腹するため、着用していた胴を外そうとした。
しかし、力なく紐がほどけず、仕方なく短刀を雪上に立てて倒れかかろうするも失敗。
水を飲めば、早死にできるという割腹の教えを思い出し、雪を口に含んでいたところを救出されたが間もなく絶命した。
次左衛門は周りの人々に井伊直弼の首を運ぶよう要請したが、誰も応じなかったという。享年22歳。