大河ドラマ西郷どん(せごどん)
ロッシュ
大河ドラマ西郷どん(せごどん)の第32話、かつて井伊直弼が結んだ通商条約で約束された兵庫港の開港がいまだ実行されていなかったため、業を煮やしたフランス公使・ロッシュが一橋慶喜のもとにやってきます。
この時、ロッシュは開港にならなければ各国艦隊を兵庫に派遣し、京都に圧力をかけると脅しましたが、慶喜はこの危機を利用して長州再征伐を天皇に認めさせることを思いつきます。
この記事では、渾身の脅しが慶喜の思惑に利用されてしまったフランス公使「ロッシュ」について簡単に紹介していきます。
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ロッシュ
アフリカでのロッシュ
ミシェル・ジュール・マリー・レオン・ロッシュは、1809年にフランスのグルノーブルに生まれた。
1828年、ロッシュはグルノーブル大学に入学するものの半年で退学し、アルジェリア侵攻を目指すフランス軍に参加する。
ロッシュはフランス軍とアルジェリアの抵抗勢力との「二重スパイ」を務め、抵抗運動の中止を交渉していたという。
フランスに戻ったロッシュはアラビア語の通訳官となり、その後はアフリカ諸国で総領事を務め、アフリカの近代化改革の基礎を築いた。
日本で暴走するロッシュ
1863年、ロッシュは駐日公使に任ぜられ来日。
通訳は前任公使の通訳官・カションが務めたが、カションの帰国後は通訳を雇わず、幕臣の塩田三郎らに務めさせた。
このためフランスは、通訳官を多く抱えていたイギリスに比べて情報収集が遅れていった。
着任後、ロッシュは英国公使・オールコックらと、長州の砲撃によって封鎖されていた下関の問題について協議。
そして英仏米蘭4カ国は、共同して下関を攻撃することを決め、実行に移した。
1864年(元治元年)、ロッシュは幕府から製鉄所、造船所建設の斡旋を頼まれた。
ここからロッシュは、新任の英国公使・パークスへの対抗意識もあって幕府寄りの立場を取るようになる。
ロッシュは幕府に対し、武器の売り込み、軍事顧問団の招聘及び訓練など積極支援を行い、さらに徳川慶喜が将軍になると幕府を中心とした政権の確立に助太刀しようとした。
しかし、これらはフランス本国の意向に沿ったものではなく、ロッシュの完全な暴走であった。
このため、フランス外務省はロッシュに帰国命令を出すことになるが、帰国命令が届いたときにはすでに幕府は無くなっていた。
ロッシュ、無念の帰国
引き続き日本に残っていたロッシュは、1868年(慶応3年)に大坂城で政争に破れた慶喜と会見。
今後の方針などを話合ったとされるが、会見後に事態は急速に動いて新政府軍と旧幕府軍が衝突する鳥羽・伏見の戦いが勃発。
結果、旧幕府軍の敗北によって、ロッシュは各国外交団の中で孤立してしまった。
その後、ロッシュは江戸に戻り、慶喜に再起を促すものの拒否されてしまい、やむなく他国と足並みをそろえて明治新政府に対応しようとする。
しかし、まもなくロッシュは公使を罷免されて帰国となり、フランスに戻ると外交官を引退。
1901年にボルドーで死去した。享年91。
西郷どん(せごどん)あらすじ
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