大河ドラマ西郷どん(せごどん)
中根雪江
大河ドラマ西郷どん(せごどん)の第26話で、沖永良部島から戻った西郷吉之助はすぐに京都に上がり、大久保一蔵と合流しようとします。
その後、吉之助は繁の家で一蔵を見つけますが、そこにいた一蔵は諸藩の藩士たちの前で「畳廻し」をして派手に盛り上がっていました。
一蔵のこの行動は、主君の島津久光が一橋慶喜らと対立を深めていたために、せめて側近たちをもてなして関係を修復しようとしていたのですが、その場にいた一人が政事総裁職・松平春嶽の側近である越前福井藩士・中根雪江(なかねゆきえ・せっこう)です。
今回は、幕末の重要人物の一人・松平春嶽の師ともいえる「中根雪江」について簡単に紹介します。
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中根雪江(なかねゆきえ・せっこう)
中根雪江は、文化4年(1807)に越前福井藩士・中根孫右衛門の長男として生まれました。
24歳で家督を継いだ中根雪江は、藩の儒学者に学んだあと、江戸に出て国学者・平田篤胤のもとで国学を学びました。
そんな折、天保9年(1838)に病弱だった越前福井藩主・松平斉善が19歳で死去。
すると斉善の兄であった12代将軍・徳川家慶は新藩主に田安家八男・松平慶永を指名しました。
このとき松平慶永は11歳。
中根雪江は幼い藩主の教育係を命じられることになりました。
藩主に国学を教える傍らで中根雪江は藩政改革にも関与し、慶永の名のもと全藩士の俸禄三年間半減と藩主自身の出費五年削減の倹約政策を打ち出します。
さらに守旧派の家老・松平主馬を罷免に追い込むと、完全に藩政は改革派の中根雪江が主導。
その後に由利公正・橋本左内ら、頼もしい若手も加わっていきました。
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中根雪江役:苅谷俊介さん。本物そっくり!
やがて慶永が幕政に進出すると、信頼厚かった中根雪江はその参謀となって活躍していきます。
嘉永6年(1853)のペリー来航の際、攘夷論者であった慶永に開国を進言したのも中根雪江でした。
安政の大獄で慶永が隠居謹慎させられると、中根雪江も一時失脚しますが、桜田門外の変後に慶永が復帰すると、中根雪江は横井小楠らと共に公武合体政策を推進していきました。
文久3年(1863年)、中根雪江は京都の越前藩邸で土佐藩士・坂本龍馬と会談。
このとき、坂本龍馬から春嶽(慶永)の上京を要請されましたが、中根雪江は時期尚早として反対します。
これで中根雪江は上京派であった横井小楠らとモメにモメ、蟄居させられてしまいました。
明治新政府の樹立後、中根雪江は内国事務局判事として出仕しますが、すぐに免職。
その後、中根雪江は友人の勝海舟と親交を深めたり、釣りを楽しんだりと悠々自適な生活を送り、明治10年(1877)に71歳で死去しました。
釣り人・中根雪江
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