大河ドラマ西郷どん(せごどん)
内務省
大河ドラマ西郷どん(せごどん)の第44話で、欧米から帰国したばかりの村田新八と川路利良は、西郷従道の案内で大久保利通のところに連れて行かれます。
この頃、征韓論争で西郷隆盛らに勝利した大久保利通は、新たな官庁である「内務省」を設立し、絶大な権力を振るっていました。
この記事では、大久保利通が初代内務卿として君臨し、政府の実権を握った「内務省」について簡単に紹介します。
内務省
岩倉使節団に参加し、欧米各国を歴訪した大久保利通は、当時の先進国・イギリスではなく、発展途上であったプロイセン王国(ドイツ)やロシア帝国こそが今後の日本の政治体系のモデルになると考えていた。
特にプロイセン王国の指導者・ビスマルクから官僚の力を活用した近代化に影響を受けた大久保利通は、行政や財政を司る官僚機構の設立を意識し、帰国後の明治6年(1873)11月10日に、さっそくフランスの国内省(内務省)とプロイセン王国の帝国宰相府(帝国内務省)をモデルとして、官僚機構として内務省を設立し、自ら初代内務卿に就任した。
この内務省は殖産興業のみならず、鉄道や通信に至るまで内政全般を所管し、大蔵省(財政)・司法省(司法)・文部省(教育)以外の強い権限を持っていた。
内務卿・大久保利通への権力の集中は「有司(官僚)専制」として批判されたが、現在に至るまでの日本の官僚機構の基礎は、内務省を設置した大久保利通によって築かれたともいわれる。
内務省はその後、農商務省・逓信省などが独立していくが、地方団体に対する監督権を持っていたため、地方行政を通じて各省に影響を及ぼした。
各省庁は何をするにしても内務省の同意と協力を得なければならず、内務省は内政の中心としての地位を保ち続け、内閣制度発足後の内務省のトップ・内務大臣は、第二次大戦敗戦後のGHQによって解体されるまで、内閣総理大臣に次ぐ副首相格のポストとみなされていた。
西郷どん(せごどん)あらすじ
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