大河ドラマ西郷どん(せごどん)
間切横目とは?琉仲為とは?
大河ドラマ西郷どん(せごどん)の第24話で、命令違反のため徳之島に流された西郷吉之助。
徳之島にいたのはわずか2カ月ほどでしたが、吉之助はそんなわずかな間でも島民たちと交流し、人望を集めています。
今回は、徳之島で西郷隆盛を見張る立場にありながら、西郷の人柄に魅せられた人物・琉仲為(りゅうなかため)と、琉仲為の役目・間切横目について簡単に紹介します。
出典:http://www.tokunoshima-tokushukai.com/
間切(まぎり)とは?
間切とは、琉球王国時代の沖縄や奄美群島の旧行政区画の名前。
現在の市町村の区域に相当し、奄美群島では江戸時代に薩摩藩の支配下に置かれたあとでも間切制が引き継がれていた。
横目(よこめ)とは?
横目とは武士の行動を監視し、その違法や不正を摘発した武家の職名。目付、横目付ともいわれる。
薩摩藩は、奄美大島、喜界島、徳之島、沖永良部島の4か所に中央代官所を設置し、藩庁から強力な権限を持つ代官や横目を送り込んで島を支配していた。
その一方で、間切ごとに役場を設けて、現在の警察官にあたる「間切横目」などの職を地元民から世襲制で採用して、巧みに島民の懐柔を図っていた。
琉仲為(りゅうなかため)とは?
琉仲為は、幕末の徳之島の役人で、徳之島に流された西郷隆盛を間切横目として世話した人物。
琉仲為の養子・琉仲祐(りゅうなかゆう)は、西郷隆盛に勉学を教わり、のちに西郷が赦免されて沖永良部島から帰藩する際に、心酔する西郷に付いて鹿児島に向かった。
その後、琉仲祐(りゅうなかゆう)は京都に向かった西郷に同行したが、西郷に間違われて新選組の鬼の副長・土方歳三に斬られて死んだといわれている。