大河ドラマ「麒麟がくる」
明智光安
大河ドラマ「麒麟がくる」で西村雅彦が演じてくれるのが、明智光秀の叔父にあたる明智光安(あけちみつやす)。
歴史上では「麒麟がくる」の主人公である明智光秀の知名度が圧倒的に高いため、明智光安は日陰のような存在です。
しかし、戦国初期において明智家を引っ張っていたのは紛れもなく明智光安であり、また光秀もその才覚と実績に敬意を払っていたような節があります。
今回は、明智光秀以前の明智家を統率していた男・明智光安について簡単に紹介していきます。
明智光安
明智光安は美濃国・土岐氏の支流である明智光継の子として生まれた。
兄には明智光秀の父である光綱(光隆)、妹には斎藤道三の正室となって織田信長の正室・濃姫を産んだ小見の方がいる。
明智家は父・光継の代から歴史に姿を現し始め、当初は土岐氏に仕えて長山(明智)城主として東美濃周辺を治めていた。
その後、美濃国で斎藤道三が台頭してくると、父・光継は土岐氏から離れて娘・小見の方を人質に出して斎藤氏に属した。
天文4年(1535年)、明智家の家督を継いで明智城主となっていた兄・光綱が死去。
このため明智光安は隠居していた父の命により、まだ幼かった光綱の遺児・光秀の後見となって明智家の実質トップとなった。
その後、元服した光秀が家督を固辞したため、明智光安が明智家における中心であり続けたという。
天文16年(1547年)、明智光安は室町幕府12代将軍・足利義晴に謁見して官位を賜り、天文22年(1553年)には「宗寂」と号して絶頂期を迎えた。
しかしその後、美濃国は斎藤道三とその子・義龍が激しく対立して二分する事態に発展してしまう。
道三の外戚であった明智光安は当然ながら道三側の立場を取っていたが、肝心の道三は弘治2年(1556年)に義龍側の稲葉良通(一鉄)らに攻められ戦死してしまった。
さらに義龍側は道三側についた者を一掃しようと、明智光安、光久兄弟、三宅氏・藤田氏・妻木氏らが籠もる明智城を包囲した。
そして明智光安、光久は揖斐光就・長井道利らに攻められ抵抗むなしく自害。
この際、明智光安は子とされる秀満を、宗家嫡男である光秀を託して城を脱出させたといわれる。
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