大河ドラマ西郷どん(せごどん)
須賀
大河ドラマ西郷どんで、西郷吉之助(隆盛)の最初の妻となるのは、橋本愛が演じる伊集院直五郎の娘・須賀。
吉之助は一度、須賀との縁談を断っていますが、1年後に母・満佐が労咳になり、死期が近いことを知ると須賀を嫁にすることを承諾しました。
須賀にとってはかなり失礼な話ですが、なんとか二人は結婚します。
しかし、この須賀はちょっと変わったお嫁さんで、愛想がなく、笑顔もぎこちない。
もしかするとこんな貧乏な家に嫁いできたのがイヤなのかもと心配になります。
でも、須賀は違いました。
「貧しさは恥ではございもはん」と満佐に語っていることからも、ただ感情の表現がヘタなだけで本当は優しい心を持っていました。
出典:https://news.yahoo.co.jp/
須賀が泣かせるのは、吉之助との離縁の場面。
島津斉彬から江戸に一緒に同行するよう命じられた吉之助。
吉之助にとっては念願の江戸行きでしたが、用意しなければならない金30両が工面できない。
須賀は、夫を借金まみれの家で待つなんて耐えられないとキレます。
その後、弟や大久保正助らが必死で金を工面しようとしますが、須賀は「無駄です。里に帰ります」といって出ていきました。
吉之助のもとには、みなが集めてくれた金20両のみで、あと10両足りない。
そんな時、須賀が父・直五郎を連れてやってきて、離縁を申し出ます。
須賀は「わがままで悪うございました」と開き直り、直五郎は「わがまま娘は忘れて江戸に行ってくれ」と手切れ金10両を吉之助に渡します。
そして須賀は「清々した。そいなら」と捨て台詞を吐いて出て行きました。
その後、須賀は父に問われて言いました。
「あんな優しい男はみたことがありません。一緒に居たら離れられなくなります。江戸に行くと言えば引き止めてしまいます。あの人は自分のことを捨てて、相手の気持ちになってしまう。こんなひねくれた自分の気持ちも分かってくれただけで十分です。日本一の婿殿を離縁してやりました」
不器用に愛することしかできなかった須賀のおかげで、吉之助は江戸に行けることになったのです。
西郷須賀(伊集院須賀)
須賀は、薩摩藩士・伊集院兼善の娘として誕生。
嘉永5年(1852)、伊集院家から徒歩10分ほどの下加治屋町の西郷家の長男・吉之助(隆盛)と結婚。
24歳の西郷吉之助は、当時は郡方書役助という地方役人であった。
結婚後すぐに、西郷の祖父・龍右衛門、父・吉兵衛、母・満佐が立て続けに亡くなった。
嘉永7年(1854年)、西郷が薩摩藩主・島津斉彬に江戸詰を命じられ、鹿児島を離れて斉彬の庭方役となる。
江戸にいる西郷が留守の中、須賀は少ない手当てで西郷の5人の弟妹の面倒をみる苦しい生活を送った。
安政元年(1855年)、須賀は実家に戻る。
娘の貧乏生活を見かねて、父親が呼び戻したといわれており、その後、伊集院家が江戸に詰めている西郷に相談し離縁が決まった。
西郷は「こちらこそ申し訳なかった」と言い、円満な離縁だったといわれている。
江戸在任中の西郷は、離婚の翌年の安政2年(1856年)に下加治屋町の生家を売却。
すでに嫁いでいた妹・琴と鷹を除く、4人の弟妹は、対岸の上之園の借家に移った。
その後の須賀がどうなったのかはよく分かっていない。
西郷が西南戦争で逆賊になったため、伊集院家によって意図的に隠したと言われている。
豊臣秀吉の家臣の伊集院忠棟。
日本最初に鉄砲を実戦に使用した伊集院忠朗。
日本最初にキリスト教が行われた伊集院城は、九州をほぼ制覇した島津四兄弟の居城。
長渕剛、中島美嘉、稲森いずみ、有働由美子らは伊集院町出身。
JR伊集院駅前には関ヶ原の戦いにて、徳川家康軍を敵中突破した鬼島津の銅像が建立されている。
孝元天皇の血統が日本最高の歌人、お公家の紀貫之(きのつらゆき)。
紀貫之の血筋が古い伊集院家。
類は友を呼ぶ。
名門、伊集院家は、
西郷隆盛の人格、才能を見抜いていたのだろうか?