大河ドラマ「麒麟がくる」
藤田行政(伝吾)
大河ドラマ「麒麟がくる」で、徳重聡が演じるのが明智家の重臣・藤田行政(伝吾)
藤田行政(伝吾)は明智光秀の父の代から明智家に仕え、五宿老の1人として活躍していた人物ですが、その前半生は光秀と同様に明らかになっていません。
というか、全く分かりません(笑)。
明智家の武将ってこういうのばっかりだから、謎めいた光秀の前半生が自由に描けるんでしょうけどね。
では、今回は明智家の超マイナー武将・藤田行政(伝吾)について、分かっている範囲で簡単に紹介していきます。
藤田行政(伝吾)
藤田行政は明智家の家臣で、光秀の父・明智光綱の代から仕えていたとされている。
生年は不詳。通称は伝吾、伝五郎。
明智家の重臣として活躍していたとされるが前半生は光秀と同様に明らかになっていない点が多い。
織田信長に仕えた光秀とともに畿内を転戦し、山城国静原山城主となって明智五宿老の1人に数えられたという。
天正10年(1582年)5月29日、主君・明智光秀は信長打倒を決意した際、明智秀満に謀反の相談をしたが反対され、次に藤田行政(伝吾)ら重臣たち(他に明智光忠、斎藤利三)に相談した。
藤田行政(伝吾)らは明智秀満と同様に謀反に反対したが、6月1日になると明智秀満が「すでに四人にも語った上はもはや躊躇すべきではない」と話し、光秀は謀反を決意したという。
そして6月2日、本能寺の変では藤田行政(伝吾)は明智光忠、溝尾茂朝とともに第二陣を務めて信長を討った。
その後、藤田行政(伝吾)は光秀と縁戚関係、友人関係にあった大和郡山城主・筒井順慶を明智方に引き入れるため、郡山まで赴いた。
しかし、筒井順慶は光秀に協力することを了承することはなく、説得は失敗に終わって藤田行政(伝吾)は追い返されてしまった。
6月13日、山崎の戦いで藤田行政(伝吾)は明智軍の右翼を率いるも味方は総崩れ。藤田行政(伝吾)も体に6箇所の傷を受けるなど奮戦していたが、退却を余儀なくされた。
そして翌日、光秀が逃げ込んでいた勝龍寺城が陥落したと聞き、自刃した。
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