大河ドラマ麒麟がくる
孫六兼元
大河ドラマ麒麟がくるの序盤の舞台である岐阜県は、かつて美濃国と呼ばれ、今も昔も関市を中心に日本刀製作の一大拠点でもありました。大河ドラマの中では鉄砲を手に入れた明智光秀がこれを分解して仕組みを知ろうと、ある刀鍛冶のところを訪れます。その刀鍛冶は『よし三』という男で架空の人物ではありますが、設定としては『関の孫六』の弟子であることになっています。
この記事では明智光秀が若かりし頃、関で名刀を数多く世に出していた『関の孫六』こと、「孫六兼元」について簡単に紹介していきます。
孫六兼元
刀鍛冶「兼元」の名前自体は現代まで続いていますが、特に有名なのが2代目・孫六兼元です。※「孫六」というのは屋号であるので、苗字ではありません。
室町時代後期(戦国時代初期)の大永3年(1523)~天文7年(1538)に美濃国の武儀郡関郷(現在の岐阜県関市)で活動していた孫六兼元は、「関の孫六」の通り名で世に知られていました。
孫六兼元が制作した刀は刀剣の中の「最上大業物」として最大評価されており、孫六兼元は歴史の中で日本を代表する刀工の一人といえます。
2代目・孫六兼元は、同じ関の有名な刀鍛冶・兼定(初代兼定)のもとで修行し、その息子である2代目・和泉守兼定と兄弟の契りを結んだといわれています。
「兼元」の刀はその美しさだけでなく、実用性を備えており、武田信玄・豊臣秀吉・黒田長政・前田利政など多くの武将が所持していました。
特に青木一重が所持していた「青木兼元」は、朝倉家の真柄直隆を姉川の戦いで討ち取った刀として「真柄切」、「真柄切兼元」などと呼ばれ、代々丹羽家に伝わって現存しています。
また、前田家に伝わっている「二念仏兼元」は、斬られた人間が斬られたことに気が付かず、死ぬまでに2度念仏が唱えることができたという伝説を残しています。
真偽のほどは確かではありませんが、三島由紀夫の介錯に用いられた刀も「関の孫六」であると言われています。
一方、「孫六」という名は縁起の良い言葉であったことから、人々は酒・煎餅・温泉などにも「孫六」の名称が使われています。
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