大河ドラマ「いだてん」
浅草12階(凌雲閣)
2019年NHK大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺~」の舞台の一つである浅草にあった『浅草十二階(凌雲閣)』という高層建築物。
『浅草十二階(凌雲閣)』は当時の日本で一番高いタワーで、東京浅草のシンボルとして人々を集めていました。
この記事では、大河ドラマで嘉納治五郎が東京オリンピック開催の夢を語るなど重要な場面の舞台となる『浅草十二階(凌雲閣)』について簡単に紹介しています。
浅草十二階(凌雲閣)
浅草十二階とは
浅草十二階は当時の人々から呼ばれた通称で、正式名称は「凌雲閣(りょううんかく)」といいます。
当時の日本で最も高い建築物であった凌雲閣が東京浅草に開業したのは1890年(明治23年)11月11日のことで、避雷針の先までの高さは52mもあり、地上40mの11階には展望台を備えていました。
名前は「雲を凌ぐほど高い」ことを意味し、展望台では浅草や上野の繁華街、多くの人々が暮らす下町、東京湾、筑波山を一望できました。
凌雲閣の起案者は長岡の豪商・福原庄七で、基本設計者は明治政府に招かれたイギリス人技術者・ウィリアム・K・バルトン。
開業後、凌雲閣株式会社が設立され、社長として東京市会議員で写真家でもあった江崎礼二が就任しました。
観光スポットから歓楽街へ
「日本のエッフェル塔」と呼ばれた凌雲閣には日本初の電動式エレベーターも設置(故障がちで半年で撤去)され、日本一とされた眺めを見るためにオープン初日から大勢の客を集めた凌雲閣。
都内各所の芸妓から厳選した100人の肖像画を階別に展示した美人コンテストもヒットし、東京観光の場所と言えば凌雲閣とされるほど注目を集めました。
しかし、開業後20年が経過した明治末期になると、さすがにその人気も陰りを見せて客足が減り、経営難に陥っていきました。
その後、浅草で焼き芋店を営んでいた岸源三郎が凌雲閣の経営権を手に入れ、企画力と発想力で凌雲閣の再建に乗り出します。
岸源三郎は凌雲閣は演芸場として、漫才、踊り、曲芸、西洋奇術などを見せる小屋を階下に作り、階上では音楽を聞かせて甘酒を飲ませるサービスを実施。
浅草も凌雲閣を中心として歓楽街として発展していきました。
大河ドラマ「いだてん」の主人公・金栗四三らはこの頃に凌雲閣に登っており、すでに一帯は小梅のような娼婦たちが集まる現在の歌舞伎町のような状態になっていました。
ちなみに、浅草では「十二階下の女」と言うと娼婦の隠語を意味しています。
その後の浅草十二階
設置後、すぐに撤去されたエレベーターは大正時代に入って復活しましたが、オペラや活動写真を目当てに浅草に集まってきていた人々にとっては、もはや眺めなどどうでもよくなっていました。
それでも浅草のシンボルとして存在感を示していた凌雲閣ですが、1912年(大正12年)9月11日に発生した関東大震災によって建物の8階部分より上が崩落。
経営難から復旧が困難であったため、爆破解体されて凌雲閣はわずか33年でなくなってしまいました。
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