大河ドラマ西郷どん(せごどん)
廃刀令
大河ドラマ西郷どん(せごどん)の第45話では、政府への不満を強める不平士族たちに追い打ちをかけるように「廃刀令」が施行されます。
『刀は武士の魂』と私学校の生徒たちは憤りますが、幕末に『人斬り半次郎』といわれた桐野利秋(中村半次郎)が「西郷先生と私学校のため」と真っ先に刀を外し、皆もそれに倣っていきます。
この記事では、明治政府が不平士族を挑発するように特権を奪った政策「廃刀令」について簡単に紹介します。
さて、これはOKでしょうか?
(答えは最後に)
廃刀令
廃刀令とは読んで字のごとく「刀を廃する法令」であるが、正式には明治9年(1876)3月28日に発せられた「大礼服並軍人警察官吏等制服着用の外帯刀禁止の件(たいれいふくならびにぐんじんけいさつかんりとうせいふくちゃくようのほかたいとうきんしのけん)」という長ったらしい名称で出された法令である。
全ての「刀」が廃棄を命じられたわではなく、正式名称にあるように「大礼服(最上級の正装)着用」の場合、「軍人」や「警察官」などが「制服着用」する場合以外の「刀」の「帯刀」を禁止したもの。
「廃刀」の議論は、明治2年(1869)頃からすでに行われており、明治政府初期に立法を司った『公議所』が開かれた時、議長代行の森有礼(薩摩藩士)は禁止を提議していた。
しかし、この森有礼の案は急速な変革を嫌った他の公議人らが反対して否決され、森有礼は退職までさせられた。
ちなみに、この『公議所』では「切腹禁止」や「えた・ひにん」の廃止など近代国家として評価されているべき案件を提議している。
森有礼
一時は否決された「廃刀」であったが、なんだかんだで翌3年(1870)には一般に禁止が決定し、明治4年(1871)には帯刀・脱刀を自由とする「散髪脱刀令」が発せられた。
明治9年(1876)に「廃刀令」が発布がされたのは、前年に山縣有朋が「従来は敵を倒し、護身のために刀を持っていたが、国家が定まった今、個人が刀を持つ必要がない。殺伐とした時代を終わらせよう」という建議が採用されたため。
この時、禁止されていたのは「帯刀(刀を腰に差すこと)」であって、所有そのものが禁止されたわけではなかった。
しかし、もともと「帯刀」は実戦的意味合いよりも武士の身分証明としての意味合いが強く、「廃刀令」は武士の特権を奪うものだった。
このため「廃刀令」に反発した者は刀を腰に差さず、袋の中に入れて持ち歩いたり、肩で担いで歩いたりしていた。
だから最初の写真はOKってこと。ダサいけどね(笑)
西郷どん(せごどん)あらすじ
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