大河ドラマ西郷どん(せごどん)
西郷小兵衛
大河ドラマ西郷どん(せごどん)の第27話で、ついに登場するのが上川周作が演じる西郷吉之助の最愛の弟・西郷小兵衛(こへえ)。
ドラマの序盤では、三兄・西郷信吾といつもご飯を食べていた小さな子供でしたが、いつの間にやら西郷小兵衛も立派な青年となっていました。
この記事では、今後も信吾ほどの登場はないとは思われますが、年の離れた兄に可愛がられていた西郷小兵衛の生涯について簡単に紹介していきます。
立派になった西郷小兵衛
隆盛に似ていた西郷小兵衛の才覚
西郷小兵衛は、弘化4年(1847)に西郷吉兵衛の4男として生まれました。諱は隆雄(たかかつ)。
兄に吉之助(隆盛)、吉二郎(隆広)、信吾(従道)がいて、小兵衛と長兄の隆盛とは19歳も離れていました。
このため、隆盛は年の離れた小兵衛を大層可愛がっていたといいます。
大河ドラマ西郷どん(せごどん)の中では、第27話の禁門の変の際に薩摩藩の援軍として駆けつけていますが、実際の小兵衛はもう少しあとの慶応4年(1868)の戊辰戦争の最中に初陣を飾っています。
新政府軍に参陣した小兵衛は、会津若松城攻めにも参加し、翌年の鹿児島常備隊が編成されると小隊分隊長となりました。
しかし、明治4年(1871)には辞職して、兄・隆盛の指示を受けて陽明学者・春日潜庵の塾に学びました。
小兵衛は読書を好まなかったくせに、討論となると弁が立ち、誰もかなう者がいなかったといわれています。
その後、小兵衛は薩摩の加世田郷(現在の南さつま市)の副戸長に就任しました。
こんなに可愛かった小兵衛くん
隆盛最愛の弟・西郷小兵衛の最期
兄の隆盛が鹿児島に戻って私学校を設立すると、明治政府による西郷暗殺計画に端を発した私学校生徒の火薬庫襲撃事件が起こります。
小兵衛は隆盛のもとに赴き、私学校本部で行なわれた大評定の場で九州を制するための的確な戦略を述べました。
しかし、この評定では策など使わずに大軍で堂々と北上する案が採用されてしまい、小兵衛の策は容れられませんでした。
こうして始まった西南戦争では、小兵衛は薩軍一番大隊一番小隊長に任じられ、篠原国幹の補佐役となりました。
本営での軍議で小兵衛は熊本城強襲案に対し、軍を分けて一軍に小倉を陥落させる分進案を主張します。
この小兵衛の案は採用されましたが、一足早く政府軍の南下が始まっていたため、分進隊は小倉に到達することなく戦闘が始まり、小倉を陥落させることはできませんでした。
その後、小兵衛は高瀬河南の戦いで敵弾を受けて戦死。享年31。
死の間際、小兵衛は「兄に先立ち死んでしまう自分を許して欲しい」と伝言し、これを伝え聞いた隆盛は号泣したといいます。
本物の西郷小兵衛