大河ドラマ西郷どん(せごどん)
参勤交代
大河ドラマ西郷どん(せごどん)で、島津斉彬は標準語を話し、弟の島津久光は鹿児島弁を話しています。
気になった人もいるでしょうが、この違いは江戸幕府から強制された政策「参勤交代」による環境の違いからくるものです。
「参勤交代」の用語は、よく耳にするものですが、今回はその内容について改めて紹介し、その理由を解説します。
参勤交代(参覲交代)
「参勤交代」とは、江戸時代に幕府が諸大名を統制するためにとった政策の一つで、各藩の大名たちが領地を離れて一定期間を江戸で過ごさなければならない制度をいう。
「参覲交代」、「参勤交代」とも呼ばれた。(いずれも『さんきんこうたい』と読む)
正式には「参って覲(まみ)える」ことから「参覲(さんきん)」としていたが、役人たちが誤記して「参勤」としてしまい、いつしかそれが一般的になったという。
寛永12年(1635年)、3代将軍・徳川家光によって制度化され、大名は原則として1年毎、江戸と自藩を往来しなければならなかった。
また、江戸を離れる場合は正室と世継ぎは江戸に駐在させるという義務があり、側室および世継ぎ以外の子だけは自由だった。
この「参勤交代」で各藩は旅費や江戸屋敷の維持費の捻出で財政を圧迫していたが、全国的には交通、宿場の発達や文化の交流など各方面に大きな影響を与えた。
一説では、幕府が各藩の軍事力をそぐため、財政悪化を狙って「参勤交代」を制度化したとされるが、本来は武家の主従関係強化のための儀礼としての要素が大きいという。
大河ドラマ西郷どんで、島津斉彬が鹿児島弁を使わず、父・斉興から「江戸もんが!」とキレられていたのも、世継ぎとされていた斉彬は、参勤交代の制度上、生まれてから藩主に就任するまで、ずっと江戸に駐在しなければならなかったから。
逆に斉興は、1年ごとに薩摩と江戸を行き来して、常に側室・お由羅を連れてベッタリの関係だった。
さらに世継ぎでなかった子・久光は江戸に駐在する義務がなく、薩摩にいたから鹿児島弁であったというのが、この制度の中身を知るとよく分かります。
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