大河ドラマ「西郷どん(せごどん)」
第25話「生かされた命」あらすじ
平成30年大河ドラマ「西郷どん(せごどん)」第25話「生かされた命」のあらすじ・ネタバレについて書いていきます。
詳細なネタバレもあるので先の展開を知りたくない方は、【ネタバレ注意】は読まないほうがいいです。
たまに、私がところどころふざけてセリフや文章を考えて書いているところがありもすが、決して本編の大河ドラマ「西郷どん(せごどん)」ではそのようなことはありもはん。
なお、放送後の感想については、別ページで書いていきますのでそちらもよろしくお願いします。
西郷どん(せごどん)
第25話「生かされた命」
NHK公式 あらすじ
野ざらしの牢(ろう)で死に直面した吉之助(鈴木亮平)は島役人の土持政照(斎藤嘉樹)の機転で座敷牢に移され子供たちに学問を教え始める。その頃、海江田(高橋光臣)ら薩摩藩士が英国人を斬る「生麦事件」が起こる。その補償を迫られた久光(青木崇高)に一蔵(瑛太)は英国に屈せず戦うことを進言。英国艦隊が薩摩に迫っていた。その知らせは沖永良部にも届き、謎の流人・川口雪篷(石橋蓮司)は漁師の舟を盗み島抜けを企てる。
西郷どん(せごどん)
第25話「生かされた命」
あらすじ【ネタバレ注意】
座敷牢
死にかけた吉之助は、土持政照の屋敷に運ばれ、何とか意識を取り戻した。
すると土持政照の庭先では、下人の子供たちが吉之助に差し出した食料を盗んだとして責められている。
子供たちの「盗んだのではなくもらった」との主張が認められずにいると、吉之助は「子供たちが正しい」と訴えようとしたが憔悴しきっていたため言葉が出ない。
そのまま吉之助は眠ってしまった。
次に目が覚めると川口雪篷がいた。
川口雪篷は「友を信じることに懲りただろう?」と悪態をつくが、吉之助は死にそうなところを水を飲ませて助けてくれたことに感謝する。
川口雪篷は「目の前で死なれるのは迷惑だ」と言うも、去り際には土持政照とその母・鶴にもう一度、藩命を熟読するように助言していった。
この川口雪篷は『お由羅騒動』で罪を着せられ遠島となっていた者で、友が呼び戻してくれると信じていたが、何年経っても戻れず、ついに手紙もこなくなり酒に溺れたのだという。
吉之助が鶴から川口雪篷の過去を聞いている間、土持政照は藩命を読み直して『座敷牢』という案を思いついた。
部屋の中に囲いを作り、吉之助を入れる座敷牢を建設していると、さっそく代官の黒葛原源助がやってきた。
「藩の命令を破るのか!」と問い詰める黒葛原源助に対して、土持政照は「書状には『囲いに召し込め』とだけ書かれています。詳しい指図はありません。それに遠島は罪人を死なせる罪ではありませんし、もし西郷吉之助をここで死なせたら黒葛原様にも迷惑がかかりますよ」と言いくるめる。
黒葛原源助はしぶしぶ了承し、土持家で暮らすことになった吉之助はみるみる内に体力を回復させていった。
そして吉之助は、恩返しとして島の子供たちに学問を教えることにする。
こうして集められた子供たちは、島役人の子と下人たちの子であった。
島には下人たちの子は家に上がってはいけないという暗黙のルールがあり、島役人たちの子も見下すような態度を取っている。
吉之助は「そんなルールは誰が決めたのか」と問い正すと、郷中で学んだ『島津日新公いろは歌』の一説を教えた。
「楼の上も 埴生の小屋も 住む人の 心にこそは 高き賤しき」
人間は住む家や身分で値打ちが決まるものではない。
心のあり方によって人格が育まれていくのだ。
島役人も下人も、この屋敷の中では誰もが平等で、子供は国の宝だと話す吉之助に、土持政照は感動しっぱなしであった。
生麦事件
文久2年(1862)8月21日、朝廷の命令を幕府に承認させた島津久光は、薩摩への帰路についた。
すると久光の一行が武蔵国生麦村へ差しかかった時、隊列に外国人が馬で割り込んできた。
キレた奈良原喜左衛門は、この英国人(リチャードソン)に斬りかかって深手を負わせる。
傷を診た海江田武次は「これは助からない」と判断し、とどめを刺した。
世にいう生麦事件である。
生麦事件に対して、幕府は英国から賠償金として30万両を要求された。
政事総裁職の松平春嶽は、賠償金を払わないわけにはいかないだろうと意見すると、将軍後見職の一橋慶喜は「英国の言いなりになっては、これまでの幕府と変わらない」と断固反対した。
さらに、この事件は薩摩藩が勝手に起こしたことで責任は薩摩藩に取らせればいいと主張する慶喜。
これに対して将軍・徳川家茂は「薩摩藩も徳川家の大事な家臣なのだ」と訴える。
しかし、慶喜は譲らず「家臣のために徳川家があるのではなく、徳川家のために家臣があるのをお忘れなく」と持論を展開し、譲ろうとしなかった。
そして約1年後、幕府の煮え切らない態度に怒った英国は、艦隊を薩摩に向かわせた。
鹿児島の錦江湾に7隻の英国艦隊が集結すると、鶴丸城は騒然となる。
久光の部屋には大久保一蔵、小松帯刀、中山尚之助、堀次郎らが集まって議論を交わしていた。
一蔵は「無礼を働いたのは英国であり、ここで屈しては薩摩どころか日本の名折れになる」と訴える。
これに対し、中山尚之助は「一蔵が精忠組の仲間である海江田武次や奈良原喜左衛門を助けたいから薩摩を英国に潰させるつもりなのではないか」と非難した。
黙って聞いていた久光は中山尚之助を叱りつけ、一蔵に「本気で英国と戦する気があるのか?」と尋ねた。
すると一蔵は「日本最強の薩摩兵が戦わずして、誰が日本を守るのか」と力説する。
中山尚之助と堀次郎は、こんな甘言を聞き入れてはいけないと久光に進言するが、逆に「やっせんぼ」という言葉を浴びせられてしまう。
そして久光は「世界に名だたる英国の軍艦を自分のものにしたい」という野望を打ち明けるのであった。
一蔵の中に「薩摩隼人」の意地を見た島津久光は、こののちますます一蔵を取り立てていき、英国との戦の準備を任せることにした。
久光の頭には『芋』と罵倒された一橋慶喜を何とか見返してやりたいという気持ちもあった。
海江田武次たちが切腹せずに済んだため、一蔵と海江田武次、大山格之助とのわだかまりが解消していた。
さらに一蔵は「味方は一人でも多い方がいい」と言って、久光から吉之助の弟・西郷信吾ら寺田屋騒動で処分された者達の赦免を取りつけることに成功する。
そして、ついに薩摩藩と大英帝国の戦が始まろうとしていた。
革命
薩摩と英国が戦うという噂は、沖永良部島へも届いていた。
非常事態を知らせる鐘の音で目を覚ました吉之助は、土持政照から川口雪篷が漁師の船を盗んで島から脱走を図ったことを聞く。
捕まった川口雪篷は吉之助に話した。
「国や侍がどうなろうがかまわないが、民が犠牲になる状況は放っておけない。ある人は言っていた『今は異国の強さを学び、日本を異国に負けぬ国にするとき。決して戦こうてはならぬ』と」
この言葉を聞いて、吉之助は斉彬の言葉だとすぐに気づいた。
そして二人は「戦は止めるべき」と協調するが、代官の黒葛原源助はそんな二人を座敷牢に入れてしまうのだった。
その後、黒葛原源助のもとには、英国から攻撃を受けるのではないかと不安がる島民たちが押しかけていた。
土持政照は、違う島にも援軍を頼むため、下人たちを売却して費用捻出を考えていた。
しかし、吉之助は「人を売り買いしてはいけない」と諭す。
そんな吉之助の姿を、下人の子供はじっと見ていた。
やがて吉之助、川口雪篷、土持政照は、自分たちの手で島を守ろうと立ち上がる。
勝手に牢から川口雪篷が戦略を練ると、吉之助と土持政照は驚いた。
こんな才能がある男と思っていなかったからだ。
そして川口雪篷の策を実行するため、吉之助たちは島民たちに協力を募った。
しかし怖がって誰も手伝おうとはしない。
3人だけでもやり遂げようとするも、土持政照は心が折れ、川口雪篷は文句ばかり言い出す。
すると、その時、下人の子供たち、島役人の子供たちが島民を連れてやってきた。
そして子供たちは口を揃えて言う。
「楼の上も 埴生の小屋も 住む人の 心にこそは 高き賤しき」
子供たちが共に声を揃えて吉之助たちを手伝うと、川口雪篷は子供たちに『革命の大英雄・ナポレオン』の話をした。
フランスの名もなき青年であったナポレオンは、学問に励み、やがて皇帝となって民を苦しめる国を変えたのだと。
そして鶴と島民たちが食事を運んでくると、身分の隔たりなく、皆で同じ食事をとりはじめた。
その姿を見た吉之助は感感慨にふけるのであった。
愛加那との今生の別れ
生麦事件に端を発した薩英戦争は、たった2日で終結した。
薩摩藩を侮っていた英国は思わぬ反撃にあい、考え方を改めることとなった。
それから半年後、吉之助は薩摩に召喚されることとなる。
迎えに来たのは弟・西郷信吾だった。
「吉之助には本当の友がいる」
負けを認めた川口雪篷は「薩摩に戻っても自分を赦免する運動など起こすなよ」と言って吉之助を送り出した。
吉之助は船から、沖永良部島の島民たちや『革命』と書いた旗を振る川口雪篷の姿を最後まで見ていた。
そして喜界島で村田新八を拾った船は、奄美大島に立ち寄った。
信吾は気を利かせて、内緒で愛加那との再会を果たさせたのだ。
愛加那も吉之助がもう二度とこの島には戻らないことは十分わかっている。
許してくれと謝る吉之助に、愛加那は「旦那様は私のことはここにいる」といって手をそっと自分の胸に置いた。
「どんなに遠く離れていても、二度と会えなくても、私の体はあなたで一杯なのです」
今生の別れとなる二人の姿を、奄美大島の澄んだ海と空が静かに見守っていた。
西郷どん(せごどん)
放送後の感想について
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