大河ドラマ西郷どん(せごどん)
倒幕と討幕の違い
大河ドラマ西郷どん(せごどん)の第29話で、ついに西郷吉之助は「倒幕」の意志を表に出しました。
ドラマの冒頭では、一橋慶喜に見切りをつけた吉之助が薩摩に戻り、大久保一蔵に「もう、幕府に日本国を任せておけん。長州征伐は徳川の脅威をなる薩摩と長州を戦わせて弱体化させようという魂胆で、幕府が守りたいのは徳川家だけだ。そんな幕府なら潰すしかない」と語っています。
ここに西郷吉之助の幕府打倒に向けた行動が開始されるわけですが、この「幕府を潰す」という意味の言葉は「倒幕」と「討幕」のどちらが正しいのでしょうか?
今回は、乱立する「倒幕」と「討幕」の違いについて自分なりに整理し、西郷吉之助の言葉を考えてみたいと思います。
「倒幕」と「討幕」の違い
基本的な「倒幕」と「討幕」の違いについては以下のとおり。
「倒幕」・・・幕府を倒すこと
「討幕」・・・幕府を討ち果たすこと
歴史の用語としての「倒幕」運動とは、主に江戸時代後期に徳川幕府の政権打倒を目的とした幕末の運動を意味しています。
分かりやすくすると「倒幕」は、幕府がなくなり徳川氏による政権運営が終わらせることを目的としているため、平和的に政権を終わらせたり、戦争によって潰してしまったりなど、そのための手段はどうでもいいということになります。
一方、「討幕」とは、武力をもって幕府を討ち果たして終わらせることを目的としている「倒幕」活動の一部です。
例えば、お金をある男に預けたとしましょう。
返す意思のない男に対し、話し合いや脅し、時に暴力に訴えてでも返してもらうのが「倒幕」。
一方、はじめから暴力ありきで、再起不能して取り返すのが「討幕」。
大河ドラマ西郷どん(せごどん)の第29話では、西郷吉之助は「幕府に日本は任せておけん。幕府は潰しかなか」とはじめて「倒幕」の意志を大久保一蔵に語ります。
しかし、吉之助は島津斉彬の遺志を継いで日本国内での内乱を避けることを第一に考えていた人物。
この頃の吉之助は「討幕」ではなく、「倒幕」を考えていたのだと思います。
「倒幕」か「討幕」か悩むわ~
「倒幕」から「討幕」へ
大政奉還
幕末の慶応3年10月14日(1867年11月9日)、将軍・徳川慶喜が朝廷に政権を返上した『大政奉還』によって、平和的に「倒幕」が成されました。
当時の「倒幕」運動を推進していた志士たちの念願が叶ったわけですが、この平和的な「倒幕」を望んでいなかったのが薩摩藩や長州藩でした。
薩長両藩は、この年の5月に行われた四候会議で政治の主導権を幕府から雄藩連合側へ奪取しようと試みましたが、徳川慶喜との論戦に敗れて、武力による幕府及び徳川家を討ち果たす「討幕」を考えていました。
このため、岩倉具視を通じて朝廷工作を行って秘密裏に『徳川慶喜討伐』の詔書である『討幕の密勅』を得ています。
しかし、この『討幕の密勅』が出されたのは、くしくも慶応3年10月14日(1867年11月9日)、『大政奉還』と同じ日でした。
徳川慶喜は薩長の「討幕」の企みを知り、『大政奉還』で自ら幕府を終わらせて「倒幕」を完了させてしまったのです。
はい。はい。幕府終わりましたよ~。
辞官納地
「討幕」の対象を無くしてしまった薩長両藩は、『大政奉還』で幕府が倒れたとしても徳川家は存続し、新しい政府の中で権力を振るっていくのではないかという懸念を持っていました。
内大臣の位を持つ徳川慶喜と、日本一の領地を持つ徳川家が新政権の中枢に食い込めば、幕府による政治と何ら変わりがないのではないかと。
もちろん、徳川慶喜もそれを狙って、あえて『大政奉還』です。
このため、「討幕」派であった大久保一蔵や岩倉具視らは『徳川慶喜討伐』の道を模索し、大義名分を得るために王政復古の大号令や、小御所会議で決定した徳川慶喜の官位と徳川家の領地の返還と求める『辞官納地』などで追い詰めていこうとしました。
素直に応じれば徳川慶喜と徳川家の力はなくなるのでOK、反発すれば逆賊として武力討伐できるのでOK。
しかし、徳川慶喜は『辞官納地』をただちに実行すれば、部下が暴発するとの理由で猶予を求め、その間に反討幕派であった松平春嶽・徳川慶勝・山内容堂が巻き返しを図ります。
朝廷では戦闘回避を求める声も根強く残っていたため、岩倉具視も弱気になり、次第に『辞官納地』問題は棚上げとなり無実化。
結果的に『辞官納地』は、徳川慶喜たちに勢いを与えることになってしまいました。
くやしーっ!
西郷隆盛の挑発
「討幕」の大義名分を失って以降、西郷隆盛は江戸の薩摩藩士に命じて浪士を集め、江戸市中に殺人・放火・掠奪・強姦など凶悪犯罪を行わせて旧幕府側を挑発するという策に出ました。
これに江戸警備の任にあたっていた庄内藩がまんまとかかり、幕閣の了承の下で薩摩藩邸を焼き討ちする事件が発生。
この事件の報を期に、徳川慶喜と共に大坂城にいた旧幕臣たちが『薩摩討つべし』と激昂して鳥羽・伏見の戦いが起こりました。
これで正式に徳川慶喜は朝敵となって追討令が出され、これまで徳川慶喜寄りだった諸侯も薩長側(討幕派)へ傾いていきました。
さて、大河ドラマ西郷どんでは「民のため」を信条にしている西郷吉之助。
この江戸でのヒドすぎる挑発策については、どのように描かれるのでしょうか?
まさか、命じてないのに江戸で勝手に薩摩藩士がやっちゃった的なことでイメージを維持するってことはないでしょうね?NHKさん。
うん。やっぱ「討幕」だな。