西郷どん関連

万里小路博房(までのこうじひろふさ)西郷どん(せごどん)西郷隆盛の天皇の教育方針を否定した保守派の元公家

投稿日:2018年9月25日 更新日:

大河ドラマ「西郷どん(せごどん)
万里小路博房(までのこうじひろふさ)

大河ドラマ西郷どん(せごどん)の第41話、西郷隆盛が進言する「明治天皇への教育」に対し、烈火のごとく怒っているのが宮内大輔の「万里小路博房」。

公家であった万里小路博房は西郷の主張する「日本が変わるためには、まず帝が変わらなければならない」という主張に真っ向から反対しますが、結局明治天皇自身が西郷の意見に共感を示してしまいます。

この記事では、西郷隆盛の引き立て役としてとりあえず登場する保守的な人物「万里小路博房」について簡単に紹介します。

 

出典:https://ja.wikipedia.org/

スポンサーリンク

 

万里小路博房(までのこうじひろふさ)

万里小路博房は公家・万里小路正房の子として文政7年(1824)に生まれた。

母は播磨三日月藩の第6代藩主・森長義の娘・貞子。

天保4年(1833)に元服し従五位下に叙せられると、嘉永4年(1851)には侍従に任ぜられた。

朝廷内でも国政に関する要職についていた万里小路博房であったが、尊王攘夷派の公家・三条実美と親しかったため、薩摩藩、会津藩と結んだ公武合体派が起こした文久3年(1863)の八月十八日の政変では免官されて蟄居させられた。

しかしその後、倒幕の機運が高まるごとに万里小路博房は位階の昇進を重ね、慶応3年(1867)には参議となって、王政復古クーデター後の小御所会議に参加した。

明治元年(1868)に従三位・権中納言に叙任され、新政府では明治2年(1869)に初代宮内卿に任命された。

明治17年(1884)に61歳で死去。

 

スポンサーリンク

 

西郷どん(せごどん)あらすじ

大河ドラマ西郷どん(せごどん)あらすじ・ネタバレ・感想・期待度まとめ【初回から最終回まで】
大河ドラマ「西郷どん(せごどん)」全話 あらすじ・ネタバレ・感想・期待度まとめ この記事では、2018年NHK大河ドラマ「西郷どん(せごどん)」全47話のあらすじ・

西郷どん(せごどん)記事まとめ

大河ドラマ西郷どん(せごどん)の【説明記事一覧】疑問に思った内容や人物を簡単に紹介!
大河ドラマ西郷どん(せごどん) 背景・関連記事・説明記事一覧 この記事では、大河ドラマ西郷どん(せごどん)の本編にある背景や、史実をもとに紹介した関連記事、疑問に思うワ

スポンサーリンク

 

-西郷どん関連

執筆者:


comment

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

関連記事

大河ドラマ西郷どん(せごどん)【西郷鷹と西郷安】西郷隆盛の妹たちの生涯について簡単に紹介!

大河ドラマ西郷どん(せごどん) 西郷隆盛の妹たち 西郷鷹と西郷安 大河ドラマ西郷どん(せごどん)での貧乏に苦しむ西郷家、MAX時は11人家族+下人1人の12人の大所帯。 その中、吉之助(隆盛)の兄弟姉 …

大河ドラマ西郷どん(せごどん)【やっせんぼ】弱虫!臆病者!役立たず!西郷を叱る薩摩の言葉「やっせんぼ」について

大河ドラマ西郷どん(せごどん) やっせんぼ 大河ドラマ西郷どん(せごどん)の中で、たびたびセリフとして出てくる薩摩の言葉「やっせんぼ」。 前回の「おんな城主直虎」では、「やってみねばわからぬではないか …

【勝海舟のその後】西郷どん(せごどん)明治維新後の勝海舟はどうなった?慶喜、西郷隆盛の名誉回復に奔走した英雄のその後を追う

大河ドラマ西郷どん(せごどん) 勝海舟のその後 大河ドラマ西郷どん(せごどん)で、江戸城無血開城で西郷吉之助と会談し、江戸の町を戦火から救った勝海舟。 勝海舟はその後、明治新政府にも迎えられることにな …

【西郷菊次郎】せごどんで愛加那(とぅま)との間に生まれた西郷隆盛の子供のその後とは?

大河ドラマ西郷どん(せごどん) 西郷菊次郎 大河ドラマ西郷どん(せごどん)で二階堂ふみが演じる「愛加那(とぅま)」と西郷の間に生まれた西郷菊次郎。 幸せな奄美大島での生活を捨てて、薩摩に戻ってしまう西 …

明治天皇(睦仁親王)大河ドラマ西郷どん(せごどん)孝明天皇崩御により15歳で即位した新時代の天皇の生涯

大河ドラマ西郷どん(せごどん) 明治天皇(睦仁親王) 大河ドラマ西郷どん(せごどん)で、一橋慶喜を信頼し、変革を嫌っていた孝明天皇が突如崩御して、若干15歳(満14歳)の睦仁親王が明治天皇として即位し …