大河ドラマ「西郷どん(せごどん)」
万里小路博房(までのこうじひろふさ)
大河ドラマ西郷どん(せごどん)の第41話、西郷隆盛が進言する「明治天皇への教育」に対し、烈火のごとく怒っているのが宮内大輔の「万里小路博房」。
公家であった万里小路博房は西郷の主張する「日本が変わるためには、まず帝が変わらなければならない」という主張に真っ向から反対しますが、結局明治天皇自身が西郷の意見に共感を示してしまいます。
この記事では、西郷隆盛の引き立て役としてとりあえず登場する保守的な人物「万里小路博房」について簡単に紹介します。
万里小路博房(までのこうじひろふさ)
万里小路博房は公家・万里小路正房の子として文政7年(1824)に生まれた。
母は播磨三日月藩の第6代藩主・森長義の娘・貞子。
天保4年(1833)に元服し従五位下に叙せられると、嘉永4年(1851)には侍従に任ぜられた。
朝廷内でも国政に関する要職についていた万里小路博房であったが、尊王攘夷派の公家・三条実美と親しかったため、薩摩藩、会津藩と結んだ公武合体派が起こした文久3年(1863)の八月十八日の政変では免官されて蟄居させられた。
しかしその後、倒幕の機運が高まるごとに万里小路博房は位階の昇進を重ね、慶応3年(1867)には参議となって、王政復古クーデター後の小御所会議に参加した。
明治元年(1868)に従三位・権中納言に叙任され、新政府では明治2年(1869)に初代宮内卿に任命された。
明治17年(1884)に61歳で死去。
西郷どん(せごどん)あらすじ
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