大河ドラマ西郷どん(せごどん)
九条尚忠(くじょうひさただ)
大河ドラマ西郷どん(せごどん)の第15話で、将軍・徳川家定の後継者に一橋慶喜を推していた島津斉彬、西郷吉之助らは、井伊直弼が大老に就任にしたことによって形勢逆転され、徳川慶福が次期将軍になることを発表されてしまいます。
実はこの突然の形成逆転劇には、京都の公家が深く関わっていました。
今回は、井伊直弼に協力した幕府寄りの公家・九条尚忠(くじょうひさただ)について簡単に紹介します。
九条尚忠(くじょうひさただ)
九条尚忠は、左大臣・二条治孝の子として寛政10年(1798年)に誕生し、実兄の権大納言・九条輔嗣の養子となった。
九条尚忠は、娘の夙子(あさこ)を孝明天皇に嫁がせ、鷹司政通から関白職を受け継いで政務を補佐した。
しかし、女癖の悪さもあり、各方面より警戒されていたという。
安政5年(1858年)、アメリカをはじめとする諸外国との通商問題が起こると、幕府は日米修好通商条約の勅許を求めてきたため、九条尚忠は幕府との協調路線を推進し条約許可を天皇に求めた。
しかし、これに反発する88人の公卿たちの猛抗議によって条約勅許はならず、更に孝明天皇は九条尚忠が勅許を認めようとしていたことを知って激怒し、関白の職権を停止した。
その後、九条尚忠は復職するが、幕府との協調路線を変えることはせず、公武合体運動の一環である「和宮降嫁」を積極的に推進。
このため、九条尚忠は尊王攘夷過激派から糾弾され、謹慎を命じられた。
明治4年(1871年)に薨去。享年74歳。
孫娘の節子は、大正天皇の后となり昭和天皇を産むことになる。