大河ドラマ麒麟がくる
常在寺と大仙寺
大河ドラマ「麒麟がくる」の物語の中には、斎藤家や土岐家、明智光秀に関わりの深い2つの寺が出てきます。一つ目が斎藤道三の正室である小見の方の病気を案じていた日運和尚の常在寺。そしてもう一つが主人公・明智光秀と道三の長男・斎藤高政(義龍)が幼い頃に共に学んだという大仙寺。この記事では「麒麟がくる」に関わる岐阜の名刹を簡単に紹介していきます。
常在寺(じょうざいじ)
常在寺は岐阜県岐阜市にある日蓮宗・京都妙覚寺の旧末寺。
宝徳2年(1450)に土岐家をしのぎ、美濃国を事実上支配していた斎藤妙椿が妙覚寺から日範を招いて建立し、永正13年(1516)には長井利隆(斎藤利隆)が妙覚寺から斎藤家出身であった日運を招くなど、斎藤家と非常に密接に関わる寺となった。
その後、妙覚寺で日運の兄弟子であった法蓮房が還俗して松波庄五郎(道三の父とされる人物)と名乗り、日運を頼って美濃に下向したことから親子による「国盗り」が始まったとされる。
下剋上により斎藤家を乗っ取った道三は父が拠点にした常在寺を厚く保護して発展させ、道三の死後も常在寺住職は道三の遺児である日饒が継いだ。
斎藤道三から数え、斎藤氏3代の菩提寺であるこの寺は、現在重要文化財に指定されていて、斎藤道三肖像画と斎藤義龍の肖像画が所蔵されている。
大仙寺(だいせんじ)
大仙寺は岐阜県加茂郡八百津町にある臨済宗・妙心寺派の寺院で、永保寺、正眼寺とともに美濃三道場と呼ばれた古刹である。
寛正元年(1460)に開かれて以降、土岐家の庇護を受けて発展し、明智光秀と斎藤道三の長男・斎藤義龍もこの寺で学んでいたとされている。
斎藤道三が美濃国を実質支配するようになると、土岐氏の没落と共に大仙寺も衰えたが、江戸時代初期に愚堂東寔が現在地へと移して中興を果たした(創建当初は現在より南の黒瀬にあった)。
また、愚堂東寔が住職の時代に沢庵宗彭の勧めによって剣豪・宮本武蔵が訪れたとされ、座禅をしたという石が残っている。
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