大河ドラマ麒麟がくる
井ノ口の戦い(加納口の戦い)
大河ドラマ「麒麟がくる」の第2話にして、戦国大河らしく圧巻の戦闘シーンが描かれます。明智光秀も駆り出されたこの戦は「井ノ口の戦い(加納口の戦い)」と呼ばれるもので、尾張で権勢を誇っていた織田信秀が美濃に侵攻し、斎藤利政(のちの道三)の居城だった稲葉山城下で行われました。ドラマの中では明智光秀を主人公にしているため、詳しい戦の背景などが描かれませんが、この記事ではもう少し「井ノ口の戦い」について知りたいという人のために、背景や内容について紹介しています。
出典:https://senbuhime.gamerch.com/
井ノ口の戦い(加納口の戦い)
井ノ口の戦い(加納口の戦い)は天文13年9月22日(1544年10月8日)、または天文16年9月22日(1547年11月4日)に起こったとされる織田信秀と斎藤道三の戦いです。
「天文13年説」では、美濃国の支配を企む斎藤道三は守護職にあった土岐頼芸を尾張へ追放したため、天文13年(1544)に織田信秀の支援を得た頼芸は、越前の朝倉孝景の支援を得た土岐頼純と連携して南北から美濃に攻め込み、北の朝倉軍は名将・朝倉宗滴が総大将となって斎藤軍を相手に戦況を優位に進めましたが、南の尾張国中に要請して兵を集めて美濃へ侵入した織田信秀は、斎藤道三の居城である稲葉山城下の村々を焼き払ったものの、夕方の引き上げの際に道三の奇襲を受け、5,000人の兵と共に信秀の弟・信康や信長の家老・青山信昌などを失う被害を出したとされています。
一方、「天文16年説」では、天文13年(1544)に織田信秀が越前の朝倉孝景と連携して美濃へ南北から攻め込んだ際には、斎藤道三は両勢に攻められ一時和睦することを余儀なくされ、その後の天文16年(1547)に朝倉・織田連合軍で支援して土岐頼芸・頼純兄弟に蜂起させたが、道三が先手を打って大桑城を強襲して攻め落とし、頼純を討ち取り、頼芸を追放にしたもの。
また、天文13年と16年の二度、織田信秀は稲葉城下に攻め入って斎藤道三に敗北し、織田信康をはじめ5,000の兵を失ったのは天文16年の方だとする説もあります。
当時の資料としては、斎藤道三の家老・長井秀元が水野十郎左衛門に宛てて、土岐頼純・朝倉孝景・織田信秀合わせて25,000~26,000の軍勢に対し、斎藤方は500~600を討ち取り、織田軍は木曽川で2,000~3,000が溺れ死に、信秀はわずかな兵を連れて逃げ帰ったとしたものが残っています。
大河ドラマ「麒麟がくる」での井ノ口の戦いは、天文16年(1547)に起こっていますが、内容は上記の「天文13年説」が採用されており、「2度戦った説」に非常に近いものといえます。
いずれにしても織田方の大敗で終わった井ノ口の戦いは、道三が信秀にその強さを見せつけた戦いとなり、のちに信秀が道三と和睦を結ぶきっかけになりました。
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