大河ドラマ麒麟がくる
日運
大河ドラマ麒麟がくるの初回で有福正志が演じるのが、常在寺の住職・日運というお坊さん。この日運は斎藤道三の正室である小見の方の病気平癒のため、サンゴの玉を献上して数珠を作ろうとする心優しい僧侶ですが、実は調べてみると見ると、ただのお坊さんではなく、斎藤道三の国盗りのきっかけを作ったといってもいい「麒麟がくる」の時代以前の美濃国に深く関わっていた人物でした。この記事では、ドラマでは少ししか登場機会がありませんが、道三以前の美濃国に影響を及ぼしていたと思われる僧・日運について簡単に紹介していきます。
日運(1484~?)
美濃版:応仁の乱に巻き込まれた子
日運は常在寺の僧であるが、元々は美濃国守護代・斎藤利藤の末子として生まれています。
幼名を毘沙童といい、土岐家の執権を担った長井利隆は兄であるともいわれています。
毘沙童の父・斎藤利藤は文明12年(1480)に「美濃文明の乱」で斎藤妙純に敗れて以降、実権を失っていました。
しかし、美濃国守護の土岐成頼が末子・元頼を溺愛し、嫡男・政房の廃嫡を考えるようになると、明応4年(1495)に美濃版応仁の乱とも呼べる船田合戦が起こります。
父の利藤は土岐成頼、元頼親子・石丸利光の『元頼派』に属し、兄の長井利隆と斎藤妙純の『政房派』と戦いましたが、翌年に『元頼派』は破れて元頼が自刃し、乱の中心人物だった石丸氏が滅亡。
『元頼派』の土岐成頼と利藤は守護、守護代職を失い隠居し、父に従っていた13歳の毘沙童は助命されて僧となりました。
道三親子の成り上がりのきっかけを作る
毘沙童は京の妙覚寺の日善上人に師事することとなり、「南陽坊」と名を変えました。
この時の兄弟子に、のちに斎藤道三の父となる法蓮房がいたとされています。
守護代の家に育ち、教養もあった南陽坊はやがて高僧となり、永正13年(1516)に兄・長井利隆に招かれて美濃に帰国しました。
そして南陽坊は「日運」と名乗り、妙覚寺の末寺であった常在寺の住職を務めることとなります。
一方、兄弟子の法蓮房はやがて還俗して「松波庄五郎」を名乗り、この日運を頼って美濃国に下向したことから国盗りが始まっていくこととなりました。
松波庄五郎の子・道三が下剋上により長井家、斎藤家を乗っ取ったあとも、日運と斎藤家の関係は良好だったようで、のちに常在寺住職は道三の遺児・日饒が継いでいます。
また、この日饒は後に妙覚寺19世住職にもなったといいます。
出典:https://www.homemate-research-religious-building.com/
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