大河ドラマ「いだてん」
二階堂トクヨ
大河ドラマ「いだてん」の第14話から登場する寺島しのぶが演じる二階堂トクヨという女性。
永井道明の弟子で東京女子高等師範学校で助教授を務める二階堂トクヨは、東京オリンピックから負けて帰ってきた失意の金栗四三に向かって「国民の期待を裏切った原因はなんですか?」と厳しい質問を飛ばしています。
その後の二階堂トクヨは「女子体育教育」のため非常に大きな役割を果たすことになり、金栗四三とも協力する関係になっていくのですが、はじめは怒鳴ってばかりで超コワイ人っす。
この記事では「日本女子体育の母」と称えられる日本女子体育大学の創始者・二階堂トクヨについて簡単に紹介していきます。
出典:https://thetv.jp/news/detail/
二階堂トクヨ
二階堂トクヨは二階堂保治、キンの長女として1880年に宮城県三本木(現:大崎市)に生まれた。
文学好きで努力家だった二階堂トクヨは、15歳で准教員検定に合格すると地元の三本木小学校で准教員を務め、のちに福島県師範学校、東京女子高等師範学校(現:お茶の水女子大学)を卒業して国語の教師となった。
金沢の石川県立高等女学校へ赴任した二階堂トクヨは、国語の傍ら最も苦手だった体操を任されてしまうが、体操専門学校出身者であったキリスト教宣教師ミス・モルガンの手ほどきを受けて「女子体育」に目覚める。
三年後には体育教師として高知師範学校に赴任し、二階堂トクヨは1911年(明治44年)には東京女子高等師範学校の助教授となった。
その後、さらに女子体育教育に取り組むためイギリスに留学した二階堂トクヨは、キングスフィールド体操専門学校でマダム・オスターバーグ女史に出会い、体育の技術だけでなく、広い教養を身につけた優れた体育教師を育成しようとする教育方針に深い感銘を受けた。
4年後、留学から帰国した二階堂トクヨは、東京女子高等師範学校教授となり「体育を基盤にした人間形成」という持論を展開して個人雑誌「わがちから」を発刊。
「体育は官学に任せておけない。女子体育は女子の手で行う」との想いから、体操女教師の養成を目指した。
1922年(大正11年)、「女子体育は女らしい優美なものに、母となるべき健康なものに」との思いを胸に、二階堂トクヨは私財を投げ打って「二階堂体操塾(現:日本女子体育大学)」を創設する。
創立時から体育だけでなく様々な教育が組み込まれ、生活の場の一体化を目指して全寮制を採用し、受け入れた塾生の日常的な「整容」にも心を配られた。
二階堂トクヨの「女子教育」とは、留学先のイギリスで見た男女平等、社会進出までを視野に入れたものであった。
1941年(昭和16年)、二階堂トクヨは60歳で死去。