大河ドラマ「西郷どん(せごどん)」
ガトリング砲
大河ドラマ西郷どん(せごどん)の第38話で、西郷吉之助の弟・西郷吉二郎が戊辰戦争に参加して北陸で命を落とします。
この「北越戦争」と呼ばれた戦いで、新政府軍の敵だったのが強大な軍事力を誇った長岡藩でした。
傑物と呼ばれた長岡藩の家老・河井継之助は、「ガトリング砲」と呼ばれる最新兵器を駆使して新政府軍を防戦一方に追い込んだといわれます。
この記事では、5,000の兵力にも匹敵するといわれた兵器「ガトリング砲」について簡単に紹介します。
出典:https://mogiseka.at.webry.info/
ガトリング砲
ガトリング砲は、1861年にアメリカ合衆国の発明家・リチャード・ジョーダン・ガトリングによって製品化された機関銃で、複数の銃身を人力やモーターなどで回転させながら給弾・装填・発射・排莢のサイクルを繰り返し、連続発射することで殺傷力と高めた兵器。
ガトリングが発明した1681型では1分間に最大200発の発射が可能であり、販売の宣伝文句は「一挺で一個連隊(5,000人)に匹敵する」だった。
日本では戊辰戦争において家老・河井継之助が率いた長岡藩が、ガトリング砲を実戦で使用した記録がある。
河井継之助は鳥羽伏見の戦いで旧幕府軍が敗北すると、長岡藩兵を率いて江戸に急いで戻っていた。
そして河井継之助は長岡藩の江戸藩邸および備品等を処分して資金を工面し、横浜のアメリカ人の武器商人・スミスからガトリング砲を購入した。
こうして当時、日本には3門しかなかったと言われたガトリング砲は、長岡藩が2門を所持することとなった。
河井継之助は軍制改革を行って強力な兵力を保持し、ガトリング砲などの最新兵器を背景に、新政府軍と旧幕府軍との間に中立を保とうとしていた。
しかし、新政府軍にとっては、会津など東北に戦線を拡大するにあたって途中に位置する長岡藩を見過ごせば、その強大な軍事力をもって挟み撃ちに遭う恐れがあった。
このため長岡藩は新政府軍からの攻撃を受け、北越戦争が始まってしまう。
長岡城に配置されたガトリング砲は、河井継之助自身が操縦して応戦したと伝えられており、新政府軍に大きな損害を出したとされる。
しかし、ガトリング砲の威力を最大限に発揮できるのは野戦。
新政府の大軍に押された長岡藩とガトリング砲は、戦況を一変させるような活躍はできず長岡城は落城となった。
ガトリング砲の威力が一番よく分かるのは、映画「ラストサムライ」ではないでしょうか。
西郷どん(せごどん)あらすじ
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