大河ドラマ西郷どん(せごどん)
市来正之丞とパリ万博
(いちきしょうのじょう)
大河ドラマ西郷どん(せごどん)で、西郷吉之助の妹・琴といい感じになっている市来正之丞(いちきしょうのじょう)。
市来正之丞は、のちに西郷琴と結婚し、薩摩藩が参加した1867年のパリ万国博覧会の使節団に選ばれます。
今回は、西郷琴の夫・市来正之丞とパリ万博について簡単に紹介します。
市来正之丞(いちきしょうのじょう)
市来正之丞は、幕末の薩摩藩士で藩主・島津斉彬の側近。
名を政清といい、1822年に生まれて妻に西郷隆盛の妹・琴を迎えた。
慶応3年(1867年)のパリ万博博覧会では、使節団の一員として渡欧した。
パリ万国博覧会(1867年)
慶応3年(1867)年、薩摩藩は徳川幕府や佐賀藩とともに日本としては初めて万国博覧会に参加しました。
開催地はパリで、それまで日本は鎖国していたため、海外で世界の国々と交流する機会がほとんどなく、この時代にとって画期的な出来事でした。
薩摩藩のパリ万博への参加は、慶応元年(1865)年に英国へ派遣されていた留学生の引率者・五代友厚らが計画。
幕府からは将軍徳川慶喜の弟・徳川昭武が派遣されていましたが、薩摩藩は独自に使節団を派遣しました。
さらに岩下方平や市来正之丞(政清)など10名で構成された薩摩藩の使節団は、幕府よりも二ヶ月も早く到着して「薩摩琉球国」として出展しました。
まるで日本の中の独立国のような薩摩藩のやり方に、幕府は猛然と抗議しましたが聞き入れられず、幕末の動乱が如実に現れた万博となりました。
薩摩パビリオンでは、幕府のパビリオンとは隣接地にあって「琉球通り」と名付けられた通りもあり、このパリ万博を機に、ゴッホらの芸術家たちが日本の出展作品から影響を受け、ジャポニズムのブームが巻き起こることになります。