大河ドラマ麒麟がくる【越前編】
18話19話20話21話あらすじ予想
5月9日放送の『麒麟がくる』第17回「長良川の対決」では、斎藤道三(本木雅弘)が敗死すると共に明智一族の本拠であった明智城が斎藤高政(伊藤英明)によって攻撃され、光秀は光安(西村まさ彦)から命じられて「明智家のため」に逃げることになりました。第18回以降の『麒麟がくる』では舞台が越前に変わって新章がスタートということになりますが、この記事では第18話以降の「越前編」についてザックリあらすじ予想をしていきたいと思います。
麒麟がくる越前編のあらすじ予想
NHK公式
まず、NHK公式では、あらすじは以下のようになっています。
第18回「越前へ」
高政軍の追手から、命からがら美濃を脱出する光秀(長谷川博己)たち。帰蝶(川口春奈)の取り計らいで現れた伊呂波太夫(尾野真千子)に導かれ、隣国・越前の地へたどりつく。領主・朝倉義景(ユースケ・サンタマリア)に謁見し、明智家をかくまってもらえないかと交渉する太夫に、義景は値踏みをするように光秀を見つめ、渋々ながら了承する。
第19回「信長を暗殺せよ」追加
- 斎藤道三の死から二年後、光秀(長谷川博己)は越前にいた。ある日、朝倉義景に呼び出された光秀は京へ鷹を届けるよう命じられる。将軍足利義輝に向けたものだという。久しぶりに京を訪れた光秀は、細川藤孝らと会い、意外な事実を知る。
引用:NHK公式HP
これを見ると、浪人となった光秀は意外と早く朝倉家に仕えることになりそうですが、そもそも明智光秀の前半生は様々な説があり、謎に包まれているため、大河ドラマでは今後どのように展開していくのか分かりません。ただ、ここにあるように早くに越前の朝倉氏に仕えることにはなりそうなので、光秀が信長に仕えたとされるまでの約12年間の周りの情勢をもとに、あらすじを予想していきます。
歴史年表
弘治2年(1556)4月
長良川の戦いで明智氏は斎藤道三に味方したため、斎藤高政(義龍)により明智城を攻められ、明智光秀は流浪が始まったとされる。
弘治2年(1556)8月
織田信長が弟・織田信勝と戦う(稲生の戦い)。敗れた織田信勝は母・土田御前の取りなしによって赦免される。
永禄元年(1558)11月
織田信勝が清洲城へ織田信長の見舞いに行った際、謀殺される。
永禄3年(1560)6月
織田信長が駿河の今川義元を桶狭間の戦いで破る。
永禄8年(1565)5月
室町幕府第13代将軍・足利義輝が松永久秀と三好三人衆に暗殺される(永禄の政変)。
永禄8年(1565)9月
若狭国の武田家を頼っていた足利義輝の弟・足利義秋が越前国へ。朝倉義景は足利義秋の来訪を歓迎する。
永禄10年(1567)9月
稲葉山城の戦いで斎藤氏の居城・稲葉山城を織田信長が攻め取って「岐阜城」とし、天下布武の印を用い始める。
永禄11年(1568)4月
足利義秋が名前を「義昭」と改めて元服。朝倉義景に対して上洛を促す。
永禄11年(1568)6月
嫡男・阿君丸が急死して朝倉義景が悲しみに暮れ、足利義昭の上洛への協力を断る。これを受けて足利義昭は美濃の織田信長に対し、上洛して自分を将軍にするよう明智光秀を通じて要請。
永禄11年(1568)9月
明智光秀は信長の家臣となり、足利義昭の上洛に加わる。
あらすじ予想
まず、長良川の戦いから逃走した明智光秀(長谷川博己)は帰蝶(川口春奈)の命を受けた伊呂波太夫(尾野真千子)の手引きで越前行きは決定。
光秀は美濃を出て越前に行き、いったん上洛して妻子を寺に預けてから全国各地を廻り、特に毛利元就に評価されたとの逸話もあることから、そのような展開も予想できなくはないが、朝倉義景(ユースケ・サンタマリア)の登場や毛利元就のキャストが発表されてないことからも、この話が採用される可能性は極めて薄い。また、朝倉義景に仕えるまでの間、足軽大将として将軍・足利義輝(向井理)に仕えていたとされる話もありますが、おそらくは光秀はすんなり朝倉氏のもとでお世話になることでしょう。
また、NHK公式の朝倉義景の人物紹介には「幕府と懇意な光秀を、いいように利用する」とあるので、足利義輝(向井理)、三淵藤英(谷原章介)、細川藤孝(眞島秀和)らと親交のある光秀は、彼らと朝倉義景との間でパシリとして扱われる可能性大。
斎藤道三(本木雅弘)、帰蝶らに散々振り回されてきたのに、まだまだ終わらないパシリ役の光秀(笑)
さらに京と越前の行き来の中で足利義輝と対立する松永久秀(吉田鋼太郎)との絡みや、出生に秘密のある駒(門脇麦)の謎解きがあるはず。
そして光秀が振り回されている間に尾張では織田信長(染谷将太)が弟・信勝(木村了)を誅殺し、尾張を統一していざ桶狭間の合戦へ。
桶狭間は戦国大河には欠かすことができない重要な戦ですが、麒麟がくるではすでに光秀と信長、帰蝶が絡みまくっているので、もしかすると光秀が裏から信長を手助けするような展開もアリ。
ここで三河の隠密・菊丸(岡村隆史)が何かしらの役割を持つのかもしれません。
桶狭間後の永禄5年(1562)に光秀は一向一揆と戦う朝倉軍の軍師として参戦した逸話もあるので、是非とも描いて頂きたいところではある。
光秀が大きな転機を迎えるのは永禄8年(1565)の松永久秀、三好三人衆らによる足利義輝の暗殺。
将軍様に対して思い入れの強い光秀は「こんな世に麒麟はくるの?」と嘆くことは間違いないでしょう。もしかしたら、この壮絶な暗殺現場、京に偶然いることもドラマならあり得る話。
その後、足利義輝の弟・義昭(滝藤賢一)が細川藤孝らに連れられ、越前に逃げてきます。
光秀は朝倉氏のもとにいると思われるので、親友の細川藤孝のために一肌脱ぐことは予想できますね。
足利義昭は永禄9年(1566)、織田・斎藤に和睦を結ばせようとし、光秀の明智庄への帰還チャンスが訪れます。
しかし、信長はこれを無視して美濃に侵攻し、光秀ガックリ。
足利義昭は改めて朝倉義景を頼り、上洛して自分を将軍に就けるよう期待しますが朝倉義景はやる気なし。
光秀も愛想を尽かし、美濃を平定したばかりの信長を勧め、足利義昭も光秀を信じて上洛を信長に要請。
この時の光秀と信長のやりとりは、見どころの一つになると思われます。
その後、光秀は義昭と信長の両属の家臣となり、永禄11年(1568)の義昭上洛に加わっていくはず。
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今後のあらすじ
麒麟が来る・を毎週楽しみに拝見していました。
福知山城へ行ったとき、職員の方にお尋ねしましたが、不明でした。
1600年頃に我が家はこの地にあったと思われます。過去帳からの検索です
我が家は桔梗紋ですが子供の頃から村のまつり事にはほとんど控えめでした。昔から
家紋を変える事はあったようですが、今までの歴史から想像するに、桔梗紋に変える家はなかったのではないかと思います。それと本能寺の変の2・3年後に名字を変えたと歴史にありますが、杉村性は日本中でも珍しく少ないのでやはり、明智家の末裔、名残があったかと思いました。亡き叔父達が我が家のルーツを調べたようですので・・・
私のコメントの掲載ありがとうございました。
可能ならばもう一歩深いところが知りたいです。
私のメッセージを掲載頂きありがとうございました。歴史にも様々な諸説がありますの
で確かな事を確認することは難しいと思いますが、祖父の兄弟は大正時代東京に出て自動車関係の事業を起こした。弟は宮内庁の自動車運転手をしていたと云う話で当時の写真もあります。明智家の資料はありませんが、家紋や過去帳等からみても筋のある家だったと受け止めています。可能ならばもう一歩深い情報があったらと思っています。
時々。YV番組で戦国時代の事や明智光秀の最新事実等放送されますが、やはり事実は微妙かと感じます。事実、私の家も系統かなと思われる痕跡もあります。しかし資料等は一切破棄されたようなので事実を掴む事はできません。只、幼い頃から亡き祖父母が控えめに、まつり事には意識的に避けて来たと子供心に感じてきました。過去帳等を見ても筋のある家だと自負しています。
光秀はなぜ本能寺で信長を打倒した事は、自分が上位になるにつれて、天下統一を光秀と足並みを揃えた頃とは徐々に変わり、自分の考えをいたずらに感情のままに動いて万民の生活より自分の地位以上なふるまいが目だってきた。激しい戦の明け暮れに、側近の光秀は天下の平定を夢見た頃とはあまりにもかけ離れた世の乱れにクーデターを決断したと思いますが、私の考えは一般論ですので・・・・又お話を聞かせて欲しいと思っています。ありがとうございました。