大河ドラマ「西郷どん(せごどん)」
第22話「偉大な兄 地ごろな弟」あらすじ
平成30年大河ドラマ「西郷どん(せごどん)」第22話「偉大な兄 地ごろな弟」のあらすじ・ネタバレについて書いていきます。
詳細なネタバレもあるので先の展開を知りたくない方は、【ネタバレ注意】は読まないほうがいいです。
たまに、私がところどころふざけてセリフや文章を考えて書いているところがありもすが、決して本編の大河ドラマ「西郷どん(せごどん)」ではそのようなことはありもはん。
なお、放送後の感想については、別ページで書いていきますのでそちらもよろしくお願いします。
西郷どん(せごどん)
第22話「偉大な兄 地ごろな弟」
NHK公式 あらすじ
3年ぶりに薩摩に戻った吉之助(鈴木亮平)は国父・島津久光(青木崇高)と対面するが上洛(らく)計画は無謀であると批判し、地ごろ(田舎者)扱いされた久光は激怒する。一方、有馬新七(増田修一朗)たちが京で他藩の浪士たちと倒幕の狼煙(のろし)をあげようとしていた。吉之助は久光の上洛軍を下関で迎える役目を与えられていたが、その命を破り急ぎ京へ向かう。京には有馬の影響を受け血気にはやる弟の信吾(錦戸亮)がいた。
西郷どん(せごどん)
第22話「偉大な兄 地ごろな弟」
あらすじ【ネタバレ注意】
島津久光との確執
文久2年(1862)、大久保一蔵の尽力により、西郷吉之助が奄美大島から帰還。
『菊池源吾』と名乗っていた吉之助は、今度は『大島三右衛門』と名乗ることになり、一蔵と共に薩摩藩主の父・島津久光に対面することになった。
二人と対面した久光は、「国父」である自分が島津斉彬の遺志を引き継ぎ、薩摩の兵を挙げて朝廷に迫ることを宣言する。
久光の目的は、朝廷に働きかけて福井藩主・松平春嶽(慶永)を大老に就任させ、さらに徳川(一橋)慶喜を若い14代将軍・徳川家茂の後見にして、幕府の政治を正して世の中を変えることだった。
しかし、吉之助は斉彬と自分が考えたこの計画は、斉彬だからこそ成し遂げることができた計画。
このため吉之助は、キッパリと久光では無理だと言い放つ。
さらに、幕府は朝廷をないがしろにして日米修好通商条約を結んでおり、今さら朝廷の言うことを聞かないことや、斉彬には幕府内にも同志がいたが久光にはいないことなど、久光の計画の甘さを指摘していく。
吉之助は、この地ごろ(田舎者)の久光が世の中を変えることができるわけがないと思っていた。
久光は吉之助の態度に腹を立て、二人の関係は悪化していった。
その夜、吉祥院で精忠組のメンバーが吉之助の帰還祝いを開いてくれた。
しかし、昼間に吉之助が久光に意見し怒りを買っていたことから、一蔵と険悪になり、祝いの席の雰囲気は台無しになってしまう。
吉之助が「久光は自分の器が分かっていない」と批判すると、海江田武次も調子にのって久光を「らっきょう」と呼びバカにし始める。
すると薩摩藩のやり方に失望していた有馬新七は、何もできない精忠組は吉之助がいる場所ではないと発言し、自身が教授している造士館の若者たちのもとで教えてやって欲しいと頼んだ。
有馬新七はこの頃、他の藩の浪士たちと盛んに情報交換しており、脱藩して京で倒幕の狼煙を上げることを計画していた。
有馬新七の考えを聞いた吉之助は驚いて言葉を失ったものの、すぐに「日本の中で血を流すのはダメだ」と諭す。
海江田武次が空気を変えようと声をかけたが、有馬新七は「血を流さなければ世の中は変わらない」と言葉を残して造士館の若者と共に帰っていった。
西郷信吾の豪遊
そのころ、京の町では薩摩の若い藩士たちが、『精忠』の文字を背中に刺繍した赤い羽織をまとい、肩で風を切って歩いていた。
その中心にいるのは、まだ18歳の吉之助の弟・西郷信吾(従道)だった。
信吾は、西郷の弟というだけで周りの者から一目置かれ、諸藩の志士たちと酒を飲んでは倒幕の気勢を上げていた。
長州藩の久坂玄瑞や、土佐藩の吉村寅太郎をはじめとする諸藩の志士たちは、日本のために一斉に蜂起して世の中を変えようとしていた。
久坂たちに歓迎された信吾は調子に乗り、近くにいた芸妓の「おゆう」に目をつけ、金に糸目をつけず酒を持ってこさせるのであった。
一方、吉之助の意見は届かず、薩摩藩は孝明天皇の前で馬揃えをすることが決定した。
久光は、この計画の邪魔になる恐れがあるため、暴走を企てる藩士たちに他藩と交わることを禁じると、吉之助には出兵がすでに決定事項であることを伝え、命令に従わなければ島流しだと釘を刺す。
そして、久光は本隊に先立つ露払いとして吉之助を出発させ、下関で待つように命じた。
吉之助は出兵が止められなかったことを悔やみつつも、倒幕を企てる連中を説き伏せるため、村田新八と共に下関へ急行した。
下関には、薩摩藩が兵を率いて京に向かうと聞いた諸藩の志士たちが集まっていた。
薩摩藩と交流のある商人・白石正一郎の屋敷に立ち寄った吉之助は、ここで思わぬ話を聞いた。
白石が言うには、吉之助の弟・信吾が薩摩藩の兵を京で受け入れるため、資金を運ぶ任務についており、30両もの大金を預けたというのだ。
信吾を信用している白石は、若いのに大したものだと褒めていたが、吉之助は何か違和感を覚えていた。
吉之助激怒!
そのころ、薩摩では有馬新七と造士館のメンバーが脱藩を企てていた。
幼い時からの仲間である大久保一蔵は必死で止めようとしたが、有馬新七は説得には応じず去っていった。
下関の吉之助と村田新八は、福岡藩士・平野國臣と豊後岡藩士・小河一敏から、京には長州藩の久坂玄瑞や、土佐藩の武市半平太、佐賀藩の江藤新平、熊本藩の宮部鼎蔵らが集まってきていることを聞いた。
平野國臣たちは、薩摩兵の到着に合わせて幕府の役人を襲い、薩摩藩を倒幕の渦中に引き込もうとしていた。
さらに、ここに有馬新七も合流することになっているとの情報をつかんだ吉之助は、すぐに村田新八と共に京へ向かうことにする。
勝手に下関を離れれば厳罰だとは分かっていたが、吉之助は居ても立ってもいられなかった。
京に着いた吉之助は、薩摩藩の定宿・鍵屋の泊まった。
仲居の「お虎」や主人の鍵屋直助らに対面するも、一向に有馬新七の行方はつかめない。
一方で、吉之助の弟・信吾が派手に祇園で遊びまわっていることを聞くと、吉之助は怒りに震え、すぐさま祇園の茶屋に向かった。
吉之助が乗り込むと、信吾はちょうど30両を畳の上に置き「おゆう」を口説いているところだった。
吉之助は預かった金に手をつけようとする信吾を投げ飛ばすが、信吾も負けてはいない。
「久光では世の中を変えることはできないから自分たちでやるしかない」と啖呵を切る信吾。
しかし、吉之助が「それは有馬新七の受け売りだろうが」とバッサリ切り捨てると、図星だった信吾はふてくされてしまった。
その後、信吾は隙をみて逃げ出してしまうが、吉之助は「おゆう」に迷惑をかけたと詫びる。
この吉之助の態度に感心した「おゆう」は、そっと有馬新七の居場所を教えるのであった。
島津久光激怒!
信吾は脱藩浪士が集まる寺田屋に逃げ込んでいた。
そこに吉之助が駆け込むと、有馬新七は倒幕のための計画と熱く語っていた。
吉之助も自分が奄美大島にいた3年間のうちに、幕府の権威がすっかり落ちていることを実感し、「徳川の世はいずれ終わる」と言う。
これを聞いて、有馬新七は吉之助にも協力して欲しいと持ち掛けるが、吉之助は「今ではない」と断る。
吉之助は「幕府を倒したとしてもその後の日本は外国に食い物にされる。斉彬が望んだように外国に負けない国づくりをすることが重要で、幕府を倒す戦は重要ではない」と指摘した。
この言葉に有馬新七も折れ、行動を自重することを受け入れることにした。
一方、信吾は自分の兄がとんでもなく立派な人物であると思い知らされていた。
そんな弟に吉之助は、島にいた3年のうちに「西郷吉之助」の名前だけが大きくなり、誰もが殺し合いとしたがる世の中になってしまったと嘆くのであった。
そのころ、下関では吉之助がいないことが問題になっていた。
白石からの伝言を預かった大久保一蔵は、京都で緊急事態が起こったために吉之助は京に向かったのだと弁明していたが、久光の側近・中山尚之助が「久光は亡き斉彬の背中を追っているだけで、その器は斉彬には到底及ばない」という吉之助の言葉を久光に伝える。
すると久光は、「吉之助を捕まえ、切腹を命じる!」と激怒するのであった。
西郷どん(せごどん)
放送後の感想について
放送後に別ページにまとめています。