大河ドラマ麒麟がくる
織田信康
大河ドラマ「麒麟がくる」の第2話では、尾張の雄・織田信秀が美濃国に侵攻して起こった井ノ口の戦い(加納口の戦い)の中、織田の陣で信秀の家臣2人が戦況を分析しています。
この2人の家臣の名は「織田信康」と「青山信昌」という織田家の重臣であり、斎藤道三の奇襲によって織田軍が敗走した際に討ち取られることになってしまいます。
ドラマの中では、大きく取り上げられることのない人物ですが、この記事では信秀の弟として尾張の支配体制確立に貢献していた「織田信康」についてフォーカスし、簡単に紹介したいと思います。
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織田信康(?~1544)
尾張の守護代・織田氏は清須城を拠点にして尾張下四郡を支配する「織田大和守家(以下、大和守家)」と、岩倉城を拠点にして尾張の上四郡を支配する「織田伊勢守家(以下、伊勢守家)」がありました。
織田信康は「大和守家」を支える『清洲三奉行』の一つ、織田氏庶流の「織田弾正忠家(以下、弾正忠家)」の当主・織田信定の子として生まれました。
生年は分かっていませんが、兄には信長の父となる信秀がいます。
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「大和守家」の重臣として仕えた父・信定は津島の港を手中に収め、港から得た経済力で「弾正忠家」の発展の基礎を作っていました。
信定から家督を継いだ兄・信秀は経済基盤を活かして勢力を伸ばし、主家である「大和守家」の織田達勝と争うようになります。
信秀に従っていた信康は天文2年(1533)に兄の代理として清洲城に出向き、両家の和平が成立させたました。
また、信康は天文6年(1537)に犬山城の城主となり、「伊勢守家」の織田信安の後見役も務めたとされています。
信康は政治、外交能力に長けていたわけではなく、今川氏との戦いなどで戦功を挙げるなど戦闘能力にも長けていたとされ、信秀が戦国大名として飛躍しようとする「弾正忠家」の黎明期に重要な役割を果たしました。
天文13年(1544)、斎藤道三と対立した信秀は兵を率いて美濃国に侵入し、信康も参陣して道三の居城・稲葉山城下の村々を焼き払いました。
夕方、織田軍は一旦引き上げることにしましたが、兵が半分ほど引いた頃に斎藤軍から奇襲を受けます。
守備体制が整っていなかった織田軍は5,000人が討ち死にする大損害を出し、信康も家老・青山信昌と共に戦死してしまいました。
信康の戦死後、信康の子・信清は「弾正忠家」に対して反抗的な態度をとり、信秀の死後は犬山城で独自勢力として行動するようになっていきます。
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