大河ドラマ西郷どん(せごどん)
三吉慎蔵
大河ドラマ西郷どん(せごどん)第33話では、薩長同盟が成立させたばかりの坂本龍馬が襲撃される事件「寺田屋事件」が発生。
入浴中のお龍が取り囲まれていことにいち早く気づき、半裸状態で龍馬に危険を知らせたことで有名な事件ですが、この時に龍馬と一生に寺田屋にいたのが長府藩士の三吉慎蔵。
宝蔵院流槍術の達人であることから武骨な男のようなイメージもありますが、この記事では龍馬が心から信頼した心優しき友人「三吉慎蔵」の生涯について簡単に紹介したいと思います。
三吉慎蔵
三吉慎蔵は天保2年(1831)、長府藩の今枝流剣術師範・小坂土佐九郎の次男として生まれた。
天保8年(1837)には田辺惣左衛門の養子となって藩校に入学すると、武芸師範にも入門して安政2年(1855)に宝蔵院流槍術の免許皆伝を受けた。
その後、再び長府藩士・三吉十蔵の養子となり、文久3年(1863)の下関外国船砲撃事件後には大砲鋳造掛締方に就任するなど出世を遂げた。
慶応2年(1866)、三吉慎蔵は薩長同盟のために奔走していた坂本龍馬に出会い、京都の情勢を探ることも兼ねて龍馬と共に京都に入る。
しかし、薩長同盟成立の2日後、寺田屋で龍馬から桂小五郎・西郷隆盛らの会談結果を聞いていたところを、突如伏見奉行所の捕り方に取り囲まれた。
龍馬の妻・お龍の機転により危険をいち早く察知した三吉慎蔵は、得意の槍を振るって応戦し、龍馬と共に寺田屋を脱出。
負傷した龍馬を材木屋に隠した後、三吉慎蔵は捕り方がうろつく中を薩摩藩邸まで走り、救援を要請して龍馬を助けた。
この時、三吉慎蔵は身を隠していた材木屋まで捕り方が迫っていたのを感じ、「もはやここまで」と切腹しようとしたが、龍馬から説得されて一人で薩摩藩邸に爆走したといいます。
大河ドラマ龍馬伝の三吉慎蔵
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一命を取り留めた龍馬が薩摩軍艦に乗ってお龍と薩摩に向かうと、三吉慎蔵も下関まで同船。
下関で下船した三吉慎三は藩に京都の情勢を報告し、寺田屋事件の功績によって長州藩主から刀の下賜、長府藩主から20石の加増を受けた。
同年、第二次長州征伐が始まると、三吉慎蔵は高杉晋作の指揮のもと奇兵隊と共に戦って幕府軍を破った。
慶応3年(1867)、龍馬が長崎から土佐に向かう途中、下関に寄港して廻船問屋にお龍を預けた。
この時、龍馬は三吉慎蔵に対して「自分が万が一の時はお龍を頼む」と書簡を送っていた。
このため三吉慎蔵は龍馬が暗殺された後、約束通りお龍を自宅に引き取り面倒を見ている。(3か月後、土佐の坂本家に送り届けることになる。)
明治維新後、三吉慎蔵は豊浦藩権大参事となり、廃藩置県後は宮内省御用掛として北白川宮家の家令を務め、明治23年(1890)に辞任。
晩年は故郷の長府で暮らし、明治34年(1901)に死去した。享年71。
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