はじめに
ここでは伝説の忍者シリーズとして架空の忍者、実在の忍者の両方を紹介しています。日本の歴史上、数多く忍者が名を残していますが、今回紹介する伝説の忍者は【霧隠才蔵】です。【霧隠才蔵】は真田十勇士で猿飛佐助と対をなす人物で、ライバルで仲間の佐助と共に真田幸村を支える架空の忍者です。それでは忍者【霧隠才蔵】について簡単に説明していきます。
霧隠才蔵
名前:霧隠才蔵
存在:架空の人物
年代:戦国時代~江戸時代初期
人物設定
霧隠才蔵は伊賀忍者の頭領・百地三太夫の弟子とされている架空の忍者。
霧隠鹿右衛門という人物が霧隠才蔵のモデルとされていますが、霧隠鹿右衛門自体が「真田三代記」だけに登場する人物であり、実在が疑問視されています。
真田幸村に仕える真田十勇士の中では、猿飛佐助、三好清海入道とともに中心的な人物として描かれることが多く、時には主役を務めることもあります。
才蔵は「霧隠」の名が示すように、ほとんどの場合、無口でクールな性格であり、明るく元気なやんちゃ忍者・猿飛佐助とは全く正反対の設定となっています。
影に隠れた実力派忍者
物語的には近江国の浅井長政の家臣・霧隠弾正左衛門の子として生まれた鹿右衛門は、2歳のときに浅井家が滅亡して遺児となり、郎党に抱かれて伊賀の名張に落ち延びたとされています。
その後、成長した鹿右衛門は伊賀流忍術の百地三太夫に師事することとなり、忍術の極意を授けられて「服部才蔵宗連」の名が与えられました。
こののち、姫路の山中で猿飛佐助と遭遇した才蔵は忍術勝負を行い、どうしても決着がつかず、やがて佐助の説得に応じて幸村に仕えることになります。
この他にも、才蔵は伊達政宗に滅ぼされた蘆名家の浪人であり、兄弟分の石川五右衛門とともに天下取りの野望に燃えて軍資金集めに悪事をはたらいていたという設定の物語もあります。
どちらにせよ、才蔵はその名のとおり、霧や霞を使うめくらましの達人として描かれ、ときには行商に化けて諸国の動静を探り、敵の城へ忍び込む隠密として活躍。
戦闘では謎の風魔忍者や、伝説の忍者・獅子王院などと忍術合戦で死闘を繰り広げ、大坂夏の陣では徳川軍の大軍を散々悩ませた挙句、徳川家康の本陣に忍び込んで首を狙いました。
しかし、家康暗殺は失敗に終わってしまい、才蔵は大坂落城後に幸村の子・大助と協力し、豊臣秀頼を脱出させたとされています。
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姓名は違えど、真田家の乱波に鹿右衛門と言う人物がいて、モデルではないかと推測されてます。
真田家の諜報活動を働く人達は実に様々であったようで、山伏の一団であったり、歩き巫女の一団であったり、元々の地元に根付いていた諜報活動を働く一団もあったとされているようです。
また、戸隠を拠点とする戸隠衆も引き入れ働かせていともあります。
そもそも、江戸時代の講談本にあるように真田信繁公を幸村と改めるあたり、幕府に気を使い名前を変えて講談にした物がそもそもの十勇士の始まりで、霧隠才蔵を架空とすると主人公の幸村公そのものも架空とせねばならないのではないでしょうか?
九度山に配流された重臣は13人と聞きます。
そんな所からも、13人では数のきれが悪い為かも知れませんが、そんな所からも十勇士となったのではないでしょうか?
ですが、今となってはわかりません。
モデルとなった人物は恐らく本当にいて、似たような活躍をされ、尼子十勇士のように実際に名を挙げた10人が居たのかもしれないですね。
また、霧隠才蔵は実在し、幸村公同様、徳川幕府時代、そのままの名前で講談本を出す事は許されずに名を変えて出版されたが、実際に居たと言う説も聞きました。
その辺のお話も是非、突き詰めて調べてみるのも面白そうです。