大河ドラマ「おんな城主 直虎」
厭離穢土(おんりえど)とは
大河ドラマ「おんな城主 直虎」の第33話「嫌われ政次の一生」で、直虎と政次は近藤康用の策にひっかかり、徳川軍に弓を引いたとして疑われて直虎は牢に入れられてしまいます。
直虎は自分たちは潔白であり、すでに城は明け渡していることからも、約束通り井伊家の再興を家康に懇願します。
しかし、家康は武田信玄の約定違反を恐れ、急ぎ遠江(掛川)攻略を進めなければならず、この井伊のゴタゴタに時間を割くことを止め、直虎たちを切り捨てる苦渋の決断をしました。
この後、瀬名から怒られてしまうと自分を責める家康に、側近の石川数正は「厭離穢土(おんりえど)でございます」と声をかけました。
この「厭離穢土(おんりえど)」という言葉は、徳川家康の旗印にもなっていて、これまでの大河ドラマでも見る機会は多かったと思います。
今回は、この「厭離穢土(おんりえど)」と、これに対を成す「欣求浄土(ごんぐじょうど)」について簡単に説明したいと思います。
※数正の「厭離穢土(おんりえど)」のセリフは、「おんな城主 直虎」ノベライズで描かれおり、大河ドラマ本編では出てこないかもしれません。予めご了承下さい。
出典:http://nannda-kore2.blog.so-net.ne.jp/
厭離穢土 (おんりえど)
厭離穢土(おんりえど)とは、浄土教の用語。欣求浄土(ごんぐじょうど)の対句。
現実世界を「穢(けが)れた国土」として、苦悩の多い穢れたこの世を厭(いと)い離れるという意味。
浄土教思想の基本的特質を表している。
欣求浄土(ごんぐじょうど)
浄土(じょうど)とは、仏教における概念で、清浄で清涼な世界を指す。
阿弥陀如来の極楽世界は清浄な国土であるから、そこへの往生を切望するという意味。
すなわち、戦国の世は、誰もが自己の欲望のために戦いをしているから、国土が穢れきっている。穢れたこの世を厭(いと)い離れたいと願い、平和な極楽浄土を欣(ねが)い求めれば、必ず仏の加護を得てそれを成すことができるということです。
徳川家康の旗印となった由縁
この「厭離穢土欣求浄土」は徳川家康の馬印に用いられました。
当時、松平元康(後の徳川家康)は、桶狭間の戦いで今川義元の元で戦っていました。
しかし、織田信長の急襲で今川義元は討死にしてしまいます。
義元討死の知らせを受けた元康は、闇夜の中を故郷である岡崎へと逃れ、菩提寺である三河国大樹寺へと入ります。
「もはやこれまで」と考えた元康は、先祖の墓前で切腹しようとします。
そこで住職13代の登誉上人が現れ、元康に質問しました。
「あなたは度々戦場に向かっているが、あなたの心はただ敵を殺すだけなのか」
元康は答えます。
「武士の心はただそれのみである」
すると登誉上人は、さらに問います。
「ならばなぜ、それをするのか」
元康は答えました。
「子孫繁栄と、父母の名を残すため」
登誉上人は最後に言いました。
「天に得ざるの国を強奪するのは、盗人の所業ではないか。それで天下を取っても、その非道は子孫に伝わっていくことになる。栄華というものは一瞬で、死んだら必ず地獄行きとなる。あなたは最終的には天下の万民の父母となり、万民の苦しみを取り除くことをしなさい」
そして『厭離穢土欣求浄土』と説いて、家康の切腹を思いとどまらせたと言われています。
おふざけ画像【井伊の谷のナオトラ】