はじめに
ここでは伝説の忍者シリーズとして架空の忍者、実在の忍者の両方を紹介しています。日本の歴史上、数多く忍者が名を残していますが、今回紹介する伝説の忍者は【猿飛佐助】です。【猿飛佐助】は真田十勇士として有名な架空の忍者であり、江戸時代からずっと忍者の中では一番人気を誇っていた忍者の中の忍者でした。最近では人気は薄れてしまいましたが、それでも【猿飛佐助】の名を知らない人はいないでしょう。それでは【猿飛佐助】について簡単に説明していきます。
猿飛佐助
名前:猿飛佐助
存在:架空の人物
年代:戦国時代~江戸初時代期
猿飛佐助
猿飛佐助は講談や小説などに登場する架空の忍者で、真田幸村に仕えて真田十勇士の筆頭とされるのが一般的な設定である。
父は織田信長、豊臣秀吉に仕えた森長可の家臣・鷲尾佐太夫。
小牧・長久手の戦いで主君が戦死すると、父は信濃の鳥居峠の麓に隠れ住み、佐助は生まれました。
この信濃の山中で佐助は一人で修行をしていましたが、ある時、甲賀忍術の達人・戸沢白雲斎に出会い、見出されて弟子となります。
そして白雲斎のもとで腕を磨いた佐助は15歳の時、真田幸村に見いだされ「猿飛佐助幸吉」と名付けられて仕えました。
その後、同じ幸村配下の三好清海入道と無二の親友となり、二人は天下の情勢を探る諸国漫遊が幸村から命じられ、道中でさまざまな武勇を重ねていきます。
十勇士に加わる由利鎌之助や霧隠才蔵らとの出会いあり、悪玉の徳川方をキリキリ舞いさせる痛快な場面あり、当初は道中ものの王道パターンで描かれることが多かったようです。
物語は歴史の流れと同じように大坂夏の陣で徳川方に敗れますが、当時の真田幸村(信繁)の武勇を惜しんだ民衆の思いを反映するかのように、佐助は幸村、豊臣秀頼と共に薩摩に落ちのびるというエンディングになっています。
猿飛佐助のモデル
猿飛佐助のモデルには3人の実在の人物が挙げられます。
一人目が秀吉がまだ織田信長の家臣だった頃、金ヶ崎の戦いの退き口で殿を務めた時に3千人の盗賊を率いて襲おうとした猿飛仁助という人物。
秀吉隊は浅井・朝倉の軍から追われていたために新たな敵の出現に戦う気力を失ってしまいましたが、たまたま蜂須賀小六の配下・日比野六大夫が猿飛仁介と旧知の仲だったために難を逃れ、猿飛仁助は盗賊をやめて配下へ加わることを勧められ、一族で家来となったとされています。
二人目は六角家臣・三雲新左衛門賢持の子・三雲佐助賢春という人物。
この三雲佐助は関ケ原の戦い後に真田幸村が九度山に流された際、幸村の身近な家臣として付き添った人物とされています。
三人目は伊賀の下忍「下柘植の木猿」こと上月佐助。
忍者ということで猿飛佐助のイメージに近いと思われますが、この人物は大坂夏の陣のあとに家康の命で服部半蔵が伊賀国で残党狩りをした際に報復の意味を込めて作られた架空の人物だともいわれています。
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